2019年12月末に、改修工事のために閉鎖されたソルトレーク神殿に、歴史ある扉が再び取り付けられました。
この出来事は単なる建築工事の一区切りではありません。
教会関係者は、これは神殿完成へ向けた大きな節目であり、2027年の一般公開と再奉献へ向けた象徴的な出来事だと語っています。
このオーク材の重厚な扉は、神殿が1893年に奉献されて以来、130年以上にわたって何世代もの末日聖徒たちを迎え続けてきました。
神殿結婚の日、宣教師として出発する日、伝道から帰還した日、家族が再会した日など、一人一人の大切な瞬間も静かに見守ってきたのです。
改修工事のために取り外されていた扉が、元の場所へ戻る様子を見て、多くの人が特別な感情を抱きました。
教会歴史部の担当者は、この扉について、「末日聖徒たちが主の宮である神殿に置く大きな価値と信仰を象徴している」と語りました。
実際、この扉には職人たちの驚くべき技術が込められています。

特徴的な円形のデザインには、「House of the Lord(主の宮)」を表すと考えられている文字が組み込まれています。細部まで施されている丁寧な装飾は、神殿建設に携わった先人たちの献身と信仰を今に伝えています。
2027年4月から10月にかけて行われる一般公開では、世界中の人々がこの扉を通って神殿の中へ入ることになります。
それは単なる建物への入口ではありません。
聖典を読んでいると、「扉」は非常に重要な象徴だとわかるでしょう。
キリストは救いへの扉
救い主イエス・キリストは、次のように教えました。
「わたしは羊の門である 」ヨハネによる福音書 第10章7節
さらに、こう宣言しています。
「わたしをとおってはいる者は救われ(る) 」ヨハネによる福音書 第10章9節
主の宮である神殿の扉を通ることで、キリストこそが天の御父のもとへ導く道であることを思い起こさせてくれます。
最も有名な神殿の扉の1つであるソルトレーク神殿の東の扉も、最終的にはその真理を指し示しています。神殿そのものが目的ではなく、神殿がわたしたちをキリストへ導く場所だからです。
狭い門から始まる聖約の道
預言者ニーファイは、永遠の命に至る道には門があると教えました。
その門とは悔い改めとバプテスマです(ニーファイ第二書 第31章17–18節参照)。
神殿に入るためには準備が必要です。同じように、主の弟子として歩み始めるためにも準備があります。
神殿の扉をくぐるたびに、わたしたちは自分が歩んでいる聖約の道を思い起こすことができます。

心の扉を開く
ソルトレーク神殿の扉が再び開かれようとしている今、もう1つの扉について考えることができます。
それはわたしたち自身の心の扉です。主はこう言われました。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう 」ヨハネの黙示録 第3章20節
神殿の扉は外から見れば壮大で美しいものですが、主が最も大切にしているのは、わたしたちの心です。
その扉を開くかどうかは、わたしたち自身に委ねられています。
たたく者に開かれる
神殿の扉が再び開かれることは、主が今も人々を招いておられることを思い起こさせます。
主は次のように約束されました。
「たたきなさい。そうすれば、開かれるであろう 」教義と聖約 第88章63節
祈り、学び、信仰をもって前進するとき、主はわたしたちの前に道を開いてくださいます。
130年以上にわたり人々を迎えてきたソルトレーク神殿の扉は、2027年に再び世界中の人々へ開かれます。しかしその出来事は、もっと大切な招きを思い起こさせます。
キリストは今もわたしたちを招いています。そして、信仰をもってその扉をたたく者には、必ず道が開かれるのです。
まとめ
130年以上の歴史ある扉が元の場所に戻ったことは、ソルトレーク神殿の完成が近づき、世界中の人々を迎える日が近いことを象徴しています。
しかし福音の中で、「扉」は単なる建物の入り口以上の意味を持っています。イエス・キリストは自身を「扉」と呼び、悔い改めとバプテスマは聖約の道へ入るための門であり、主は今も私たち一人一人の心の戸をたたいておられます。
2027年、多くの人々がこの歴史ある扉を通って神殿へ入ることでしょう。その光景を思い描きながら、わたしたちも自分自身に問いかけてみたいものです。
「わたしは今、主に向かって歩んでいるだろうか。」