わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として、クリスチャンの家庭で育ちました。なので、いつもイースター(復活祭)を祝ってきました。イースター・バニーからチョコレートや卵をもらうサプライズや、ゆで卵に色を付けるなどの楽しい伝統と、イースターの真の意味を考える良いバランスが我が家にはありました。イースターの日曜日には、教会へいつも新しい服を着て行き、家族で食事のために特別に集まりました。クリスマスのように、その日の主役がイエス・キリストであると知りながら育ちました。それでも子供としては、祝日の楽しい伝統に夢中になるのは仕方がありません。大人でさえも、それらを楽しんでいます。

子供のころから常にイースターの意味を知っていましたし、それが真実であるという信仰を持っていました。でも時間が経つにつれ、イエス・キリストが実際に死から3日目によみがえられたということが、真実であるという知識へと徐々に変化していきました。どのようによみがえったかは、理解することはできませんが、そうだったということは知っているのです。それが真実であると知るために、理解する必要はありません。それは携帯電話で通話するのに、その仕組みを知らなくても良いのと同じです。完全には理解できなくても真実は真実です。それはわたしが、長年かけて学んだ信念です。そして真実が心に入ってくるのを感じる時、とても平安を感じます。

 

イースター(復活祭)で最も大切なこと

復活の原則が信念から真実へと変わっていったのはゆっくりとした過程でしたが、確かな知識へと導かれてきました。そしてその知識がわたしの霊にしっかりと根付くと、それについて疑問を感じる必要は二度とありませんでした。母親として、祖母として、同じように伝統のバランスを今も取っています。家族として楽しいことを一緒にしますが、イースターの日曜日にもっとも大切なのは、救い主がわたしとわたしの愛する人たちのためにしてくださったことを心にとめることです。わたしは、復活祭の日曜日に他の場所を選ぶのではなく教会に出席することにより、救い主への献身を示すことができます。そしてわたしの真の献身は、一年を通して毎日、クリスチャンとして生活するよう努力することです。

イースターの日曜日の朝に、イエス・キリストの復活とそれがわたしにとっていかに貴いものかについて、知っていることすべてを思い巡らしていたことをはっきりと覚えています。その時に頭に電球がついたかのような突然のひらめきがありました。多くの理由から、イースターはわたしにとってとても個人的なものとなりました。その理由の数は、既に亡くなった愛する人の数に等しいものです。彼らの霊が生き続けることと、イエスが死を克服したので、いつかはわたしたちすべての肉体と霊が再び結びつく日が来ること、という信条に疑問を持ったことはありませんでした。しかし、その瞬間何かがわたしの中でピンときたのです。

 

家族の死と復活

わたしは母が癌で衰弱するのを見届けました。彼女が小さく土色になっていくのを見ました。肝不全のために目と皮膚が深い黄色になっていったのです。そして彼女が息を引き取る時、わたしはその場にいました。父が老齢のために衰え、何の喜びも人生に見出せない状態になるのも見届けました。関節炎で体が不自由になり、他の慢性的な病でも苦しみました。そして、彼はよく寂しいともらしていました。53年連れ添った妻を亡くしてから10年が経っていました。医者が、どの治療法も彼の肺炎に効いていないのでもう終わりだと告げた時、わたしは一緒にその場にいました。父は、安堵していました。彼は、準備ができていたのです。もう、わたしをくすぐっていた昔のようなパパではありませんでしたし、わたしの子供たちを肩車してくれていたおじいちゃんでもありませんでした。彼は体の不自由な老人だったのです。両親を通して人生の不変の事実、死を垣間見ました。人は死を免れないので衰弱します。病気であろうと老齢によろうと、わたしたちすべての人はいつかは、逝くのです。人間の体がそのように衰弱し、肉体をいつかは置いていかなければならないと受け入れるしかないのです。親愛なる人をひとりも失ったことがない人はほとんどいないでしょう。そして、しばしば死は、悲劇的な方法で早くやってきます。そのような喪失は、理解しがたいものであり、別離が永遠ではないという知識によってしか慰められないでしょう。

読者の皆さんを怖がらせたくはありませんが、死の現実味は兄弟の自殺によってさらに我が家にやってきました。彼の遺体は3日後に発見され、彼の家族としてわたしたちは遺品を整理するためにその現場に取り残されました。遺体がまだそこにあったので、わたしはそこで死のにおいを経験しました。それはわたしを、聖書のラザロの物語に幾分感情移入させました。イエスが彼を死からよみがえらせるために墓石を転がしてどかすまでに、亡くなってから4日間経っていたのならば、どのような状態だったのでしょうか。日にちが経っていただけに、ラザロが蘇ったことはさらなる奇跡だったことは確かでしょう!

イエスがラザロにした奇跡は、わたしたち筆者が伏線と呼ぶものだと思います。イエスは、自分には死を克服する力があることを公にはっきりとさせたのです。しかし、彼に近い人々でさえ、その真の意味とそれから起きることを理解できませんでした。わたしは今日に至るまでまだ理解はできていませんが、それが真実であることは知っています。そしてそれが、あるイースターの朝にピンときたことだったのです。愛する人を失うこと、わたしは突然、それが一時的に過ぎないという否定できない喜びに満たされました。イエス・キリストが父なる神の独り子で、究極の代価を支払ってくださったので、死を克服することができたのです。そしてイエスが実際に犠牲を払ってくださったので、死が以前ほど気力を失わせるみにくいものではなくなりました。わたしは、愛する人々を再び肉体の状態で抱きしめられると知っています。その時は彼らもわたしも、欠けるところがない完全な状態であることでしょう。

「『・・・死よ、お前の勝利は、どこにあるのか。

 死よ、お前のとげは、どこにあるのか。』

しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである。」(Iコリント1555, 57

 

 

この記事は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員、アニタ・スタンスフィールドによって書かれたものです。