フィリップの空っぽの卵

フィリップの空っぽの卵

 モルモン教インスティチュートのクラスで、教師がフィリップという若い男の子のお話をしてくれました。クラスのみんなが、フィリップの卵のお話を聞いて涙しました。家に帰ってからそのお話を探してみると、そのお話が見つかりました。このお話はマリオン・D・ハンクス長老が語ったものです。ハンクス長老が語られたとおりの文章を紹介します。

 

 イースター(復活祭)が間地かに迫っているので、フィリップという11歳の少年の心温まる話をしたいと思います。フィリップはダウン症でした。ほかの8人の子供たちと日曜学校のクラスに出席していました。

 

 イースターの日曜日、教師が子供たち一人一人に卵の形をしたプラスチックの容器を持ってきました。子供たちは、集会所の外に出て、その中に復活祭の意味を思い起こさせてくれる物を何か選んで入れてくるように言われました。

 

 皆、喜んで戻ってきました。それぞれの卵が開かれると、中からちょうや小枝、花や草などが出てきて、そのたびに子供たちは大はしゃぎでした。最後の卵が開かれました。フィリップのものです。中は空っぽでした。

 

 何人かの子供たちがフィリップをからかいました。「でも先生……」フィリップは言いました。「イエス様のお墓は空っぽだったよ。」

 

 数ヵ月後、フィリップの死を告げる新聞記事には、葬儀の最後に8人の子供たちが前に進み出て、大きな空っぽの卵を小さなひつぎに入れたことが報じられていました。それには、「墓は空っぽだった」と書いたリボンが結ばれていました。

 

 このお話を読むたびに、涙ぐんでしまいます。小さなフィリップや、彼のイエス・キリストへの信仰、そして空っぽの卵に抱いた希望について考えます。フィリップは、わたしにより強いイエス・キリストの信仰を持つことを教えてくれました。

墓は空っぽ

墓は空っぽです。

 

この記事はジャーミーによって投稿され、mylifebygogogoff.comに掲載されたものです。