この記事は元々は2015年にLDS Livingに掲載されました。1948年5月30日のチャーリー・ブラウン『ピーナッツ』(スヌーピーの漫画)の初めての登場から70周年を祝してチャールズ・M・シュルツの信仰の遺産を読者の皆さんと分かち合いたいと思いました。

「だれかと絶対議論しちゃいけないと習ったことが3つあるんだ」と『ピーナッツ』の愛しいキャラクターであるライナス・バン・ペルトは言っています。「それは宗教、政治そしてかぼちゃ大王だよ。」

最高傑作の『ピーナッツ』スタイルでは、この引用はライナスの幼い年齢を超えた成熟と洞察を示していますが、これは生みの親であるチャールズ・M・シュルツが経験から学んだ真理を話しているのです。

「父はいつも『僕のことを知りたければ僕の漫画を読んで』と言っていました」と、エイミー・シュルツ・ジョンソンは父であるチャールズ・シュルツについて語っています。「『ピーナッツ』を読めば、父が信じていたことがわかります。」

伝道の話を元に描かれたピーナッツの漫画

エイミー・シュルツ・ジョンソンの自宅にかかってる漫画の原稿。これは彼女の父が彼女が伝道中にドアを閉められてばかりで大変な思いをしていた話を聞いて描いたもの。

けれども、多くのファンやシュルツの作品の批評家たちは彼の宗教に対する考え方に異議を唱え、彼にキリスト教原理主義者や無神論者など、あらゆるレッテルを貼りました。とても複雑で非常に個人的なことですが、シュルツとその作品に最も近い人々は、救い主に対する彼の信念と信仰が、彼の人生においてあらゆる決断の動機となっていたことを理解しています。実際にライナスの賢明な助言とは反対に、自分の漫画のキャラクターを通して国中に自分の信念を分かちあったのは、この深く染み込んだ個人的な確信だったのです。

行動する信仰の人

「これまでの人生で、わたしはずっと父の行動の中に父の信仰を見てきました」とエイミーは語っています。「古い我が家には大きな黄色い椅子があり、父は毎日そこに座って聖書を読んでいたのを覚えています。」

メソジスト派でもなく、ほかの組織された教会の信者でもありませんでしたが、「12年間、毎週日曜日にはカリフォルニア州北部の小さな町のメソジスト教会の日曜学校で教えていた」のをエイミーは覚えています。

父親の模範について証言しますが、エイミーは彼が信念や信仰に対しては非常に内密にしていたことを認めています。それは公に分かちあったり、宣べ伝えたり、子供たちに従うことを期待するものではなく、彼自身が生きるためのものでした。

そしてその中にこの偉大な男性の逆説があるのです。漫画家というものはたいていは信仰などに対してからかうものですが、彼は自分の信仰を非常に個人的なものとしてはいましたが、その作品を通して希望、価値、恵み、そしてイエス・キリストのメッセージさえも公に広めることをあえてしたのです。

「父は『ピーナッツ』に自分の信仰を描くことを恐れませんでした。父は、登場人物は漫画の中で聖書のようなものを持ち出すことができるくらい真面目だと感じていました。小さな子供が思いや考えを口にしているので、人が自分の作品を『子供向け』とすることを、父は決して良しとはしませんでした。父の作品は子供向けではなく、むしろもっと大人向けでした。それをとても誇りに思っていました」とエイミーは述べています。

 

子供たちの無邪気な言葉を通して、チャールズ・シュルツは何十年もの間、家族、失敗、教育、想像力など、人生の根本的なものをあらゆる年代の読者たちに教えてきたのです。

「ひどい生活をしている子供たちがたくさんいます。文字通り彼らにとって救いとなるのは『ピーナッツ』の漫画だけでした。すごいことです。その物語は驚くべきものです。」

シュルツの信仰を最も感動的に表したのは「チャーリー・ブラウンのクリスマス」という形で、1965年12月9日にデビューした短いテレビアニメ特別番組でした。その特別番組で、ライナスがチャーリー・ブラウンにルカ2:8-14を引用しながらクリスマスとは何であるかを話します。これは当時多くの論議を呼んだ瞬間でした。

クリスマスのスヌーピー

の家の壁に掛けられた絵。彼女の父が特別にアイススケートが大好きな娘のために作ったサイン入りの作品。

「プロデューサーとディレクターは『これはできない』と言いましたが、父は『もしわたしたちがしなかったら誰がするんだい?』と言いました」とエイミーは回想します。「それでやることになりました。その年、コロムビア放送(現在のCBS放送)で放映しましたが、ハリウッドの大物たちは皆まったく気に入りませんでした。彼らは『放送はするよ。でもこのような宗教的なものを出すべきではないから、今年限りでおしまいだ』と言いました。」

その年、「チャーリー・ブラウンのクリスマス」は視聴者から高い評価を受け、批評家たちからは称賛を得ました。それ以来、エミー賞やピーボディ賞を受け、そのデビューから毎年テレビ放映されることになりました。

末日聖徒イエス・キリスト教会について学ぶ

チャールズ・シュルツの信仰と娘との関係は、エイミーが末日聖徒イエス・キリスト教会に入ってから新たな局面に至りました。

エイミーの教会への興味は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であったボーイフレンドから始まりました。彼女は彼の信仰について質問をしたものでした。

「彼はお酒を飲むことを良しとしない『知恵の言葉』の戒めについて説明してくれました。わたしは唖然としました。自分の家族だけがそうしていると思っていたからです。同じように感じている人がいるなんて、まったく思いもよりませんでした」とエイミーは思い起こしています。

初めは宗教そのものよりも、教会のライフスタイルに興味がありました。特定の宗教を持たずに成長したので、多くの考えは彼女にとって新しく、また奇妙なものでもありました。しかしボーイフレンドと別れてからも彼女は教会についての探求を続けました。

「わたしは教会に留まりました。なぜなら生活様式が自分が育った環境を思い起こさせてくれたからです。でもわたしは基本的に自分のために教会に入ったのであり、ボーイフレンドのためではありませんでした。自分が教わってきたことすべてと完全にマッチしたのです」とエイミーは言います。

自分の信仰については人に話さなかったシュルツですが、娘が入ったこの新しい教会について自分がどう感じているかを、彼女に明確に伝えました。

チャールズ・M・シュルツが扉を閉められている宣教師をかく

娘が伝道中にチャールズ・M・シュルツが送った手紙と漫画

「『お前の教会は真実か偽りかのどちらかだね。だからわたしは偽りだと思うよ』と父が言っていたのを覚えています」とエイミーは回想します。「4コマ漫画で何かを説明するとき、いつもは4つの枠に文章を分けて入れていた父が、それほど単純に物事を捉えることができたことがどんなに深いことかと当時思ったのを覚えています。」

何年も経って、父親の死後、エイミーはこの同じ言葉が総大会の説教壇からこだまするのを聞きました。「わたしたちは一人一人が、教会が真実かあるいは偽物かという問題に面と向かわなければなりません。ここに中間地帯はありません。神の教会であり王国であるか、あるいは何でもないかのいずれかです。」ヒンクレー大管長は2003年4月の総大会でこのように語りました。

「わたしは椅子から転げ落ちそうになりました」とエイミーは回想します。「わたしはこれを前に聞いたことがある。それは異様なドキッとするような感じでした。でもわたしは二人のその言葉が両方とも合っていることを知っていました。父が言ったこととヒンクレー大管長が言ったことのただ一つの違いは、ヒンクレー大管長は真理を知っていたということです。」

モルモンの信仰には魅力を感じませんでしたが、シュルツは娘からのサポートを決して抑えていたわけではありません。

「父はわたしの伝道中に手紙をくれましたし、スヌーピーが教会のパンフレットを配っていたりするような漫画の面白い絵を送ってくれました。寒くてびしょびしょになりながらも、父は神殿の外に立ってわたしを待ってくれました。父はわたしが伝道に出発するときに話をしてくれ、節目節目でわたしのためにいつもそこにいてくれたのです。」

チャールズ・M・シュルツが伝道中の娘に当てた手紙と漫画

チャールズ・M・シュルツが伝道中の娘に当てた手紙と漫画

手紙や娘との会話の多くにおいて、チャールズ・シュルツは必ず称賛と愛を分かち合っていました。「父は『わたしは君のことをとっても誇りに思っているよ。皆に君のことや主のためにどれほど一生懸命働いているかを話してるんだよ』とわたしに言ってくれました」とエイミーは言っています。

「伝道中に父からもらった手紙の多くには聖句やアドバイスがいっぱいで、神がわたしの心の中をどのようにご存じかを伝えてくれました。父はただ美しい言葉を書いてくれました。わたしが伝道中のため、唯一父と過ごさなかったクリスマスには、父は『互いに離れているからと寂しく思う必要はないよ。キリストの愛の中で互いに喜びあおう』と言いました。」

彼女が伝道から帰還すると、エイミーの父親との緊密な関係は成長し、深まり続けました。「そしてだんだんと時が経つにつれて、わたしはもっと父に教会について話したくなりました。そしていつも『お父さんが教会をどれほど嫌いかは分かっているけど……』と始めると、ある日ついに父はこう言ったのです。『そういう風に言うのやめてもらえるかな?わたしは教会を嫌うどころか、今はわたしたちは二人ともキリストや聖典を信じているということの絆を持つようになったことを喜んでいるんだよ。』」

神殿の前に立つ花嫁姿のチャールズ・シュルツの娘と家族

娘の結婚式の日に神殿の外に立つチャールズ・シュルツ

生きた遺産を持つ男

チャールズ・M・シュルツ、あるいは友人からの呼び名であるスパーキーは2000年2月12日に、大腸がんのために亡くなりました。

「かつて兄が、親が死ぬことが怖くないかわたしに尋ねたことがありました」とエイミーは回想します。「わたしは『死ぬのではないわ。父さんが(年をとって弱って)漫画が描けなくなるぐらいまで長生きすることよ』と言いました。なぜなら漫画を描くことは父がずっと欲していたことだったからです。父は決して漫画をやめたいとは言いませんでした。ただ描きたかったのです。」

簡潔であること、そしてタイミングに長けたチャールズ・シュルツのこの世からの旅立ちは、彼の漫画と同じように完璧なタイミングでした。診断結果とこれから先の闘病について分かると、シュルツは読者のために別れの漫画を作り、それは2000年2月13日に掲載することになっていました。その中で、彼は次のように書きました。「親愛なる友人の皆様へ、わたしは幸運なことにチャーリー・ブラウンやその友達の話をほぼ50年描いてきました。……残念なことに、毎日の4コマ漫画で求められるスケジュールを、もうこれからは維持することができません。……そのため、わたしは現職を退くことをお知らせします。わたしは長年にわたる忠実な編集者たち、漫画のファンの皆様から伝えられたすばらしいご支援と愛に感謝しています。チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ライナス、ルーシー……彼らをどうして忘れることができるでしょうか。」

彼の死についてエイミーは次のように追想しています。「父はその晩、死ぬようには見えませんでした。医師たちも皆引き上げていました……まるで父はこっそり抜け出したようでした。」

シュルツはカリフォルニアの自宅で、夜9時45分に息を引き取りました。それはニューヨークでは2月13日の午前0時45分頃のことでした。「こことニューヨークの時差を考えれば、父の死んだ頃には新聞社が翌日の新聞を印刷し始めるところでした。不思議だと思いませんか?」

告別式では、エイミーはこの信じられないほど強靭で複雑な男性の生涯から一つの思い出をまとめて、たったの3分で話すことになっていました。不可能なことではないとしても困難なことでした。

しかしそのとき、エイミーは10年近く前に父親が彼女に話したことを思い出しました。そのときは偶然に思えましたが、今にしてみると父親の仕事が残したものとその意味を伝えているように見えました。

「わたしたちはただおしゃべりをしていたのですが、父がこう言ったのです。『アメリカ人は良識を望んでいるんだ。良識的な娯楽が欲しいんだ。そしてわたしはいつもそのことを信じてきた。もし自分が下品で汚いことをするようなことになったら、神は文字通りわたしの指を取ってしまわれるだろう』この人が神を信じてはいないと人々が言った人なのです!……」

「あらゆる娯楽に携わるすべての人が、もし自分が何か下品で汚いことをするようなことがあれば、神は指を取ってしまわれるということを信じていたら、と考えてみてごらん。それは毎朝、ペンを置くとても大きな戒めになるだろう!」

メディアビジネスに携わる多くの人にとって、それは行動を起こすための大きな物差しになるかもしれませんが、チャールズ・M・シュルツにとって、それは日々の暮らしの中での標準であり、自分の作品の中で具体化したものなのです。なぜなら、エイミーが書いているように「わたしの父は自分の才能がどこから来たのか知っていました」そして彼は、その信仰の源と自分の才能に忠実であったのです。

この記事は元々はDanielle B. Wagnerがwww.ldsliving.com“’Peanuts’ Creator Charles Schulz’s Missionary Comics, LDS Connection, and Legacy of Faith”という題名で投稿したものです。
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