「最後まで堪え忍ぶ」という表現は聖典の中に数回現れます。その一つは聖書にあります(マタイ24:13)。その意味するところは、その人の生涯の終わりまで、イエス・キリストとその福音に忠実であり続けることです。この「最後まで堪え忍ぶ」という表現はしばしば一つの約束と一緒になっています。つまり、もしその人が最後まで堪え忍ぶならば、その人は救われ、また昇栄するという約束です。 

1.福音の原

モルモン教会とも呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会はその教義の基本的な信条を、教会の創立者であり預言者であるジョセフ・スミスによって短くまとめられた信仰箇条(モルモン教の基本的信条の概説)で表現しています。その13条ある項目の4番目には福音の第一原則と儀式が列挙されています。すなわち、イエス・キリストに対する信仰、悔い改め、罪の赦しを受けるために水に沈められるバプテスマ、聖霊の賜物を受けることです。

最後まで堪え忍ぶというのはもう一つの福音の原則です。人が信仰箇条第4条に概略されている福音の最初の4つの原則と儀式に従ってから、 その人は最後まで堪え忍ばなければなりません。別の言葉で言えば、神の戒めに誠実で、また忠実であり続けることです。最初の4ステップだけでは十分ではありません。その人はバプテスマの聖約に忠実であり続けなければなりませんし、天父が与えられる他の戒めにも従う必要があります。

2.最後まで堪え忍ぶといのは束を伴う原

多くの福音の原則は約束が伴います。同様にこの原則にも一つの約束があります。 教義と聖約には、「わたしの戒めを守り、最後まで堪え忍ぶならば、あなたは永遠の命を得るであろう。」(教義と聖約14:7)と書かれています。

18章の22節には次のようにあります。「悔い改めて、イエス・キリストであるわたしの名によってバプテスマを受け、最後まで堪え忍ぶ者は皆、救われるであろう。」(教義と聖約18:22)

3.昇栄には最後まで堪え忍ぶことが必要

この原則は、救いの約束を伴った福音の原則であるばかりでなく、昇栄のためにも必要です。モルモン書のニーファイ第二書に、この点についての説明があります。「最後まで堪え忍ぶ者は救われる。…生ける神の御子の模範に倣って、最後まで堪え忍ばなければ救われないことが分かる。」(2ニーファイ31:15-16)モルモニズムの用法としては、「救い」も実際には昇栄のことを表すと考えられます。救いは肉体の死からの救い(復活)を意味することもあります。そして天の家にある住まいを得ることです。しかしモルモンの信仰では、罪の中に留まりキリストを拒んだ者たちでも、霊界で自分の罪に対して苦しんだ後、天の王国の一つに留まることができるのです。それは最も低い段階の、それでいて栄光のある「星の栄え」という王国ですが、神の御前の外にあります。昇栄するとは、最も高い段階の栄光である「日の栄え」に至ることを意味していて、神の御前に共に住むことを示しています。(1コリント15:40-42;教義と聖約76)昇栄の別名は「永遠の命」です。

4.希望を持って最後まで堪え忍ぶ

最後まで堪え忍ぶというと、辛い苦しいこととしてみられがちです。あるいは、人生で身に降りかかるどのような苦しみも経験しなければならない、という捉え方がされます。しかしニーファイ第二書には、モルモン(モルモン教会の会員の呼称)はその過程でも喜びを見出すことができると説明しています。それは救い主イエス・キリストを通して、希望を持ち続けることができるのです。

「したがって、あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ、完全な希望の輝きを持ち、神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして、キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み、最後まで堪え忍ぶならば、見よ、御父は『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」(2ニーファイ31:20)