「末日聖徒はカルトだ」と、ネット上などで書かれることがよくあります。それは完全に誹謗中傷です。人を幸せにするキリストの教えから、人々を遠ざけてしまいます。なぜ末日聖徒は誤解されるのか?その原因をさぐりながら、末日聖徒の素晴らしく、そしてユニークな教えを解説します。
カルトの本当の意味
カルトに対する一般的なイメージはなんでしょうか?
それはきっと「隔離、逸脱した教え、迷信的、暴力、殺人、洗脳」など、人を不幸にする危険な教えといったところではないでしょうか。
まさに関わりたくない、逃げなければいけないと人に思わせます。カルトのレッテルを張られることで、人を幸福にする貴重な末日聖徒の教えから人々を遠ざけてしまうことは本当に残念なことです。
実はカルトの本当の意味は、悪いイメージからはまったくかけ離れています。
メリアムウェブスター辞典によると、基本的なカルトの意味は①「正式な宗教的礼拝」②「宗教的な教義や儀式を有する組織」となっています。
これらの定義は末日聖徒の教えに当てはまっていますが、末日聖徒を非難する人たちの間では話題にすら上りませんね。
コンパクトオックスフォード辞典には、カルトは「特定の人物や対象に対して宗教的な礼拝を行う組織」であると定義されています。
これは少なからずわたしたちの教えに当てはまると思います。わたしたちは主イエス・キリストを心から愛し、信じ、その教えに従おうと努力しています。
敵意に満ちた批評
でも批評家たちが「末日聖徒はカルトだ」と主張するときは、末日聖徒の素晴らしい教えをまったく異なる恐ろしい宗教にすり替えようとしています。その狙いは人を幸せにする教えから遠ざけることです。
アメリカの作家ガイ・ハリソン氏は末日聖徒ではありませんが、”Psychology Today”というウェブサイトの記事で「カルト」についてこう解説しています。
この単語がどのように使われているかを、少し距離を置いて客観的に見てください。この言葉は偏見を持って使われています。いとも簡単に「カルト」が間違った理念を持った、怪しくて受け入れがたいものだと思わせます。これは言葉によるいじめであり、知名度の低い団体を侮辱し、より知名度の高い団体から引き離そうとします。
ガイ・ハリソン
このような悪意ある言動に人々が惑わされるのは当然ですよね。でもわたしたちは声を大にして言いたいです。
「ぜひ末日聖徒の素晴らしい教えを実際に聞いてから判断してください。ぜひわたしたちの集会や活動に参加してみて実際に御自分で確かめてください。」
末日聖徒がカルトと呼ばれる原因
末日聖徒が「カルト」と呼ばれる理由は、わたしたちがほかのキリスト教とは一線を画すユニークな存在だからでしょう。つまり主流から外れているように見えるので、「カルト」と言われるということです。
さて自分たちとは違うからという理由で他者を批判する風潮は、初期のキリスト教の時代にも見られました。
初期のキリスト教徒たちはひどい迫害を受けました。その当時ユダヤ教が主流だったので、その教えから逸脱している「カルト」と見なされたのです(オンライン記事”Do Latter-day Saints Belong to ‘The Mormon Cult’? “)
もし末日聖徒は「カルト」であると教わったなら、その主張の根拠をぜひ探ってみてください。初期のクリスチャンが誤解されたように、わたしたちの信条も誤って受け止められている可能性が大きいのです。
末日聖徒の素晴らしくてユニークな教え
末日聖徒はキリスト教徒です。主イエス・キリストを信じ、その教えに従おうと努力しています。ただ従来のキリスト教徒の教えとは、かけ離れていると誤解を受けることがあります。
これがまさに「カルト」と呼ばれてしまう要因になっているのです。
オンライン記事”Do Latter-day Saints Belong to ‘The Mormon Cult’? “から、いくつか末日聖徒のユニークな教義を挙げてみましょう。
① 三位一体を信じていない。
三位一体とは、「神」「御子キリスト」「聖霊」の御三方が、超越した体を持たない抽象的なひとつの存在であるという教えです。この教義は紀元325年のニカイア信条をまとめた時に創出されたものです。しかしこれは間違った教えです。
「わたしたちは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと聖霊とを信じ」ています。
信仰箇条 第1条
キリストは復活した後、弟子たちに現われて御自身の体に触れさせられ、骨肉の体をお持ちであることを示されました(ルカによる福音書 24章34‐43節)。
創世記には、人は神の形にかたどられたと記されています(創世記1章26-27節;創世記5章1-3節)。
新約聖書のヨハネの第一の手紙には、神とキリストと聖霊はひとつであると記載されています(ヨハネ第一の手紙5章7-8節)。この箇所は三位一体を支持していると、ほかのキリスト教教派は考えています。
しかしこれは、ヨハネの時代の何百年も後に手を加えられた、という説があります。しかも御三方がひとつの存在という意味ではなく、望みや目的が一致しているという意味に解釈できます。
② 生ける預言者を信じている。
「わたしたちは、初期の教会にあったと同一の組織、すなわち、使徒、預言者…などがあることを信じ」ています。
信仰箇条 第6条
末日聖徒は、現代においても預言者と使徒が与えられていることを信じています。彼らはわたしたちと同じように間違いを犯す人間ではありますが、神から召され、権能(神の御名によって行動する特権)を与えられた神の僕です。
キリストが初期の教会を設立した時、使徒、預言者を召されました(エペソ人への手紙4章11-14節)。そして預言者たちが迫害を受けることも預言されました(マタイ書23章24節)。
キリストは現代にも預言者と使徒を召されて、御自身の教会を導いていらっしゃいます。現代にも預言者と使徒が召されているのは末日聖徒イエス・キリスト教会のみです。なんと素晴らしい特権なのでしょう。
③ 聖書以外の聖典を信じている。
「わたしたちは、正確に翻訳されているかぎり、『聖書』は神の言葉であると信じる。また、『モルモン書』も神の言葉であると信じ」ています(信仰箇条 第8条)。
モルモン書のほかにも、教義と聖約や高価な真珠も聖典として信じています。
批評家たちは聖書の中に、神の言葉を加えたり削ったりしてはいけない(ヨハネの黙示録22章18‐19節)と書かれていることを引き合いに出し、モルモン書を否定しようとします。
しかし、これは正当な主張ではありません。なぜなら黙示録が書かれた当時、新約聖書は、まだ編纂されていなかったのです。
ですからこの箇所は、黙示録だけに当てはまります。詳しくは、神への信仰のウェブサイトの記事「聖書は完璧なの?神が備えたモルモン書とは」を読んでみてください。
預言者たちによって、神の言葉は書き足されていきます。旧約の時代の預言者たちは、神からの言葉を書き記しました。それが聖典になりました。新約聖書の著者たちも同様です。旧約聖書があるにも関わらず、その時代の神の言葉を書き綴ったものが、新約聖書になりました。
新約聖書の中にはこう記されています。「すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する」(コリント人への第二の手紙13章1節)。
モルモン書はキリストを証しています。聖書もキリストを証しています。この二つがあってこそより説得力のある証が得られるはずです。
ぜひ自分の目で確かめてみて
末日聖徒がカルトであると非難されるのは心外なことですが、むしろそれだけユニークで特別な存在だからこそ注目されるのだと思います。
イエス・キリストは預言者を通して現代の御自身の教会、末日聖徒イエス・キリスト教会を導いていらっしゃいます。主の教えは人を幸せにし、周りの人を幸せにする手助けをしてくれます。
わたしたちがこの世界で生きている目的を教え、祈り、聖典、預言者の教えを通して、わたしたちが与えられた使命を果たし、いつかまた神と共に住めるように導いてくれます。
ぜひあなたとあなたの周りの人を幸せにする末日聖徒の教えを御自分で確かめ、学んでみてください。