末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)では、約2000年前のキリストがおられた当時に設立されたキリスト教が、現在回復されたと信じています。それによって救いに欠かせない教えや儀式などが回復されました。回復に伴う祝福を、末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗することで実感してきました。回復の祝福と言うとたくさんありますが、その中で二つ、わたしにとって一番大切なことについて話したいと思います。

神様がわたしたちを愛しておられるという知識

一つ目は、神様がわたしたちを愛しておられるという知識があることです。わたしは14歳の時に改宗しました。14歳というと、ちょうど思春期だったり色々と多感な時期だと思いますが、当時のわたしもまさにそのような状態でした。自分と周りの人を比べては自信をなくし、「ああ、もしわたしがあの子みたいだったら幸せだったのに」とよく思っていました。しかし、宣教師がわたしに神様について教えてくれました。神様が実在し、わたしのことを愛しておられると教えてくれました。わたしに会う度に「神様は本当にまりちゃんのことを愛しているよ」と伝えてくれました。この知識は当時のわたしにとって大きな希望、また光でした。そしてある日、学校にたくさんの生徒がいる中で、この素晴らしい事実を知っている人はわたし以外に誰もいない、ということに気が付きました。その時に、周りの人をうらやむ気持ちが一瞬にして消えました。自分はなんて幸せなんだ、と信じられませんでした。ウークトドルフ管長が「今まさに,そしていつも,神は皆さんを愛しておられます。皆さんが弱点や悪い習慣を克服できたら愛そうと思っておられるのではありません。皆さんの困難を完全に理解したうえで、今、愛しておられます」と言っています。どこにいても、わたしがどのような状態でも、わたしのすべてを知り、変わらず愛してくれる存在があると知った時、自分に自信を持てるようになりました。

イエス・キリストの贖いについての知識

二つ目は、イエス・キリストの贖いについての知識があることです。この福音を知る前は、悔い改めの機会が与えられていることや、その方法を知りませんでした。小学生のころに本を読んで、イエス・キリストが十字架にかけられたことは知っていましたが、それがわたしのためだとは思いもしませんでした。しかし、イエス・キリストがわたしたちに悔い改めの機会を与えるために、わたしの罪を代わりに負い、十字架に架けられたと宣教師が教えてくれました。そのころのわたしは反抗期真っただ中で、故意にたくさんの間違いをおかしていました。でも、自分では悪いことをしていると分かっていたので、いつも罪悪感がありました。いつこの悪い行動が親にばれてしまうのか、ほかの人にこのことを知られたらどう思われるのか、といつも不安でした。良い方向に変わりたくても、自分のしてしまった過去は変えられない、わたしはこの罪悪感を一生背負って生きていくんだと思うと、毎日とても苦しかったです。

そんな時に、イエス・キリストがわたしのためにしてくださったことを宣教師が教えてくれました。その当時も今も、これ以上に素晴らしいことは聞いたことがありません。悔い改めてバプテスマを受けるだけで、この罪悪感を捨てることができると知った時に、何があってもこの祝福を受けたいと思いました。レンランド長老が「神はその憐れみのゆえに、わたしたちが悔い改めて罪から離れるときに赦すと約束してくださっています。……わたしたちは、キリストの贖いと自分自身の悔い改めによって、過去の行いを振り返ってこう言うことができるのです。『そうなのです。しかし今は違います。』どんなに悪に染まっていたとしても、こう言うことができます。『それがわたしでした。でも、もはや今のわたしは、かつての悪かったわたしではありません』」と話しています。彼の言葉が真実だと知っています。

自分の間違いを認めることは恥ずかしいことがあります。結婚してからも、自分の間違いを主人のせいにして謝らないことも多々ありました。しかし、自分の間違いを認め、悔い改めることは価値があることだと知っています。

著者:オールレッド真理子