この話は元々は2005年のLDS Livingに掲載されました。改宗したマリオ・ファシオーネは2015年に亡くなりました。

どの国の文化や時代にも庶民が向かい合わねばならない敵が存在するようです。新聞を賑わせる悪者がマフィアだった時代もありました。マフィアあるいは「ギャング」はニューヨーク、シカゴ、ラスベガスやデトロイトのような大都会にはいつも存在していました。デトロイト出身のマリオ・ファシオーネは改宗して信仰を持つと、すっかり変わりました。それは二人の若い宣教師たちが彼に不思議な本を渡し、彼はそれを読まねばならないように感じたからです。

ビジネスの世界への一歩

父はデトロイトイタリア人会の会長でしたが、悪の世界のことになると、賢かったので大抵の場合は手を汚しませんでした。当時父はまっとうなセメントの仕事をして成功していましたが、必要なときは別の側の助けを得ていたのです。

父と同様、わたしは素早く詐欺をするチャンスを嗅ぎわけることができました。「一般教育修了検定」を文字通り買った後、アメリカ陸軍に入隊しました。そこでわたしは無くなったことなど上官が知るよしもない道具や部品などの軍の備品をくすねて闇市で売ることで大儲けできることを悟ったのです。陸軍で2年間兵役についた後、わたしは名誉除隊しました。

店を開く

わたしが重機の闇市の仕事で儲けたのは、友人がここアメリカの大きな機械メーカーの一つでペーパーワークの仕事をしていたことから始まりました。1968年にはわたしは6つの業務の中心的存在となっていました。わたしは詐欺のために沢山の偽名や嘘のIDを使いました。そのころ後に妻となるリネットに出会いました。彼女は口が堅く、誰にも余計なことはしゃべりませんでした。わたしたちは結婚し、ほとんどの面で互いに利益のある関係だったのです。

モルモンについての最初の印象

1980年の春、わたしはユタ州ソルトレイクシティー行きの飛行機に乗りました。わたしはある取引のために前金を出していて、その取引の場所へと向かっていたのです。

決着をつけるために計画した取引の詳細についての考えは、ソルトレイクシティー空港に近づいているというキャビンに流れるパイロットの声で中断されました。わたしはソルトレイクの町にある花崗岩でできたモルモンの神殿の塔を見下ろしました。わたしの目は神殿の輝く塔にくぎ付けになりました。自分が今まで見た建物で一番美しいものでした。

夕暮れ時のソルトレイク神殿

写真はlds.orgより

前もって調整してあったように一人の若い男性と会い、彼は橋渡し役へとわたしをプロボまで乗せて行ってくれました。ソルトレイク渓谷を通って南に向かいながら、わたしは自分の見た建物のことがまだ強く印象に残っていました。

橋渡し役と会ってから数分間話し合い、翌日の予定もまとまりました。わたしは夜ホテルに戻ってベッドに入ると知らない間に眠ってしまい、劇のようなものを見ていました。

観客はわたし一人で、役者たちはわたしに直接語りかけてきました。何が何だかわからずにいると、言葉がわたしに飛んできました。「お前はこれをしなければならない」と一人が言うと、もう一人が「あなたはこの道を進まなければならない」と別の役者がわたしの所に来て言いました。

言葉が押し寄せてきて、心の中でガンガン鳴り響き、わたしはどうしたらよいのか分からず途方にくれてしまいました。わたしは飛び起きました。自分が見たものはあらゆる細かい部分まで覚えていましたが、それは夢でした。このような経験をしてわたしはすっかり混乱してしまいました。結局その夢をどう解釈したら良いか分からず、結び付ける宗教的な知識も持ち合わせていませんでした。

その源の目的が何であろうと、その夢はわたしにまとわりついていました。

気になった宣教師たち

わたしはちょうど2週間してミシガンに戻っていましたが、ある日仕事から帰宅すると妻からわたしの血圧が驚きで屋根を突き抜けるような伝言をもらいました。

その日玄関のドアをノックする音が聞こえ、妻が出てみるとスーツを着て髪を短くした二人の若い男性が立っていたということでした。彼らはソルトレイクシティーのこの教会からの者だと言いました。当時我が家は妻と他には2人しか知らないプライベートの電話番号を持っていました。この若者たちが家に来たとき、どういう訳かリネットはその番号を教えて後で電話するように伝えたのです。妻はわたしが帰宅した頃を見計らって戻ってきてもよいけど、まず最初に電話してほしいと伝えたと言いました。そこで彼らは本来もらえない電話番号をもらって帰ったのです。

わたしは電話がかかって来るのを待ちました。妻は彼らが若者だと言ったので、わたしは余計なことをしないように脅してやろうと考えました。でも電話がかかるとそのようにはいきませんでした。それどころか自分は末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師だと名乗る青年が話し出すと、わたしは何かを感じて安心した気持ちになりました。計画したように子供のような宣教師たちを脅すかわりにわたしたちは数分話しこみ、彼が話すことにわたしは冷静に興味を抱きました。

わたしは二つの理由でこの若者たちについて知るのは良いことかもしれないと思うようになりました。一つは彼らがわたしを騙そうとしているのかを知るため、もう一つは渡した電話番号について忘れるように説得するため。

わたしたちは翌週会う約束をしました。

答えを得る

約束の晩、若い男性たちが家にやってきたとき、わたしは彼らの胸に教会の名前が刻まれた名札を見、また彼らがどれほど若いかを知ると、びっくりしました!彼らを招き入れ、「よし、君たちがいったい何者なのか教えてくれ」と言いました。

彼らはイエス・キリストを信じるという教会の信条や、救いの計画と呼ぶものについて話し始めました。イエスの死により、人の過ちが赦され、死んだ後に天父とともに住めるようになったことについて話してくれました。

これまでの人生の中で、人生の目的についてわたしが知りたい答えをくれる人は誰もいませんでした。この二人の若者たちはわたしの持っていたすべての疑問に答えてくれました。わたしは本当にたくさんの疑問を持っていました!わたしはすっかりレッスンにのめりこんでしまいました。

わたしたちは来週の約束をとりました。

その訪問から日がたつにつれて、わたしの心は彼らから聞いたことでいっぱいになりました。それは囁きのようでもあり、声のようでもあり、何かを思い出させてくれるもののようでもあり、わたしにまとわりついて忘れることができませんでした。

自分は騙されているのか?

来週彼らに会うのが待ち遠しくてたまりませんでした。しかしいざやって来ると宣教師たちは聖典の聖句をわたしに読むようにしつこく言ってきました。ついにわたしは一人の宣教師を引き寄せて言いました。「俺は字が読めないからお願いだから聞くのをやめてもらえるかな。恥ずかしいから。」彼は「あっ、そうでしたか。もう言いません」と言いました。

その晩のレッスンは4時間だけでした。宣教師たちと外へ出ると、1人が車のトランクからモルモン書を出してわたしにくれました。

「ひざまずいてこの本について祈ってください」と宣教師が言いました。わたしはそれを聞いて「つまり俺はただひざまずいて指示どおり神に祈れば読めるようになるということかな?」と心の中で考えました。それは信じがたいと思いましたが、宣教師たちはただチャレンジしたので、わたしはそれに乗ることにしました。

モルモン書を開いて見てみました。ずっと昔の見慣れない言葉を見て、心には疑いの気持ちがあふれました。わたしは恥ずかしい気持ちを感じたわけではありませんでしたが、もしほんとうに神というものが存在したら、と思うととても怖くなりました。

わたしは人を騙すことに慣れていたので、もしかして自分は騙されているのかと思いました。あるいはかわりに自分が神を騙しているんだろうか?わたしはひざまずいて考えました。「よし、これならできる。」そしてわたしはやってみました。大した事じゃなくただ読めるように祈っただけでした。夜、床に入りましたが、自分の祈りの言葉が祈っていた居間の壁を抜けて神様に届いたかは定かではありませんでした。

次の土曜の朝、それでわたしはその本を事務所に持っていき、1人きりで机の前に座りました。本を開いて序文を一行ずつ読みました。わたしは何時間も座ったまま一語一語読みました。一生懸命になればなるほど、すべての内容が意味をなしているように感じました。飽きることがありませんでした。時々一つ二つ分からない言葉がありましたが、つまらなくなることはありませんでした。

心の変化(改宗)

次に宣教師たちがやって来た時、ワシントンD.C.神殿の奉献のビデオを持ってきました。ナレーターがアメリカの首都郊外のこのすばらしい建物の建築について、救いの計画、ただ死が二人を分かつまでとは違う永遠に花嫁と花婿が結婚する結び固めの部屋について話しました。

ナレーターの言葉が続く中、カメラが神殿の中を覗き、ヘリコプターで上空に上り、トランペットを空に向けて持った輝く金のモロナイ像が立つ尖塔の周りを飛びました。

心が突き刺されるようでした。電流が身体の中を走り抜けました。モロナイの像を見て、モロナイが何を象徴し、そしてそれはどういう意味なのかを知ると、わたしはただ圧倒されてしまいました。自分の中の何かが壊れ、わたしは赤ん坊のように泣き叫びました。自分はその建物に入らなければならないという非常に強い思いを感じました。その気持ちは言葉で表すことができませんでした。

明かりをつけると、わたしはこの若者たちの方を向いて言いました。「僕はあの建物に行かなくちゃいけないんだ。どうすれば行けるんだい?」わたしは自分が見たものが正しいことは分かっていました。彼らが見せてくれたものが本物であることには何の疑いもありませんでした。その日から、自分の生活を変えなければいけないことは分かっていました。わたしの暮らし、ライフスタイルや現在自分が知っていることはすべて完全に変えなければならないのは明白でした。

生きて外に出る

わたしはほどなく改宗して教会の会員になるためにバプテスマを受けました。組織を抜け出るために細心の注意を払って計画を立て、これから経験することになる生きるか死ぬかのリスクを理解した後、わたしは組織のボスたちとのミーティングを設定しました。わたしたちが保管のため使っているデトロイトの倉庫に皆集まりました。そこでわたしは自分が改宗してモルモン教会に入ることになったことを説明しました。彼らに教会がどういうものか伝え、新しい信仰を持ったのでもうこのような種類の仕事を続けられないと説明しました。わたしは抜け出る必要がありました。

ボスのボリラさんはそこに座ってわたしのことをじっと見て、わたしの言うことに耳を傾け、穴のあくほどわたしを見つめていました。ついに静寂を破って「モルモンのこと聞いたことがあるよ」と彼は言いました。「彼らは良い人たちで信頼できる人たちだ。もしお前が彼らが望むように生きたいのなら、わたしは心配することは何もない。」

まもなく話は握手で終わりました。これはその部屋にいる人は皆死ぬことはないという印であり、わたしは部屋を出るために彼らに背中を向けました。

ドアまで歩きました。何も起こりません。

車まで歩きました。それでも何も起こりません。

駐車場から出て道に出ました。その瞬間、快い平安と驚きがわたしを包みました。自分が不可能なことをしたことが分かりました。人生の中でギャングから決別したのです。

完全な円となる

リネットとわたしは一緒に教会に入りましたが、彼女はわたしほどには熱心ではありませんでした。結婚生活はその後数か月で破綻しました。言うべきこと、やるべきことをすべて行った後、わたしは古い生活から離れ、完全に破産してしまいました。自分が持っているのは車と服と10か12ドルくらいでした。

一方、謙遜になって自分の霊が改宗して変わると、生活はまったく期待していなかった方法で変化し花開きました。一年たつと神殿に行くという熱烈な望みはかなえられました。初めてソルトレイク神殿に参入するとき、わたしは自分に福音を教えてバプテスマを施してくれた宣教師たちと会いました。彼は宣教師時代の日記を持って来ており、主がどのようにわたしたちをめぐり合わせてくださったのかが分かりました。プロボのホテルの部屋で夢を見た晩から21年以上たちました。主は教育も何もなかったわたしが理解できるような方法でメッセージをわたしに届けるように計らってくださったのです。わたしはあの夢を決して忘れることはないでしょう。

ジョーダンリバー神殿でキャシーと結婚し、彼女の3人の子供たちと結び固められた日にあの夢の完全な意味が分かりました。それはまるでわたしの上に大量のれんががドドーっと落ちたかのような経験でした。主がなぜわたしに夢を見させ、宣教師を送り、解放されたのかが分かりました。主はこの子供たちを育てるためにわたしが必要だったのです。それは主の計画の一部だったのです。

年月を重ねるにつれてわたしたちは心地よい人生を歩み、以前の暮らしとは全く違いますが快適に生計を立てています。でももう昔には戻りたくありません。自分が得た霊的な財産には権力も、お金も、威勢もくらべものにはなりません。わたしは主が与えてくださった贖いの愛に感謝しています。

この記事は元々はMario Facioneがwww.ldsliving.com に“Why a Mafia Member Risked His Life to Become Mormon”という題名で投稿したものです。
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