「タイガー・マザーとして知られる、アメリカの法学者で弁護士であるエイミー・チュアが、2冊目の本を夫との共著で出版しました。彼女は、アメリカに暮らす8つの異なるグループが、ほかの人たちよりも成功していると書いており、物議をかもしています。その本は2月の半ばまで売り出されませんが、すでにかなりの議論や批判が起こっています。この8つのグループの1つにモルモンが入っているので、この議論に注目しています。わたしは彼女の本をまだ読んでいないので、なぜモルモンがほかの人より成功しているのか、その理由をどのように書いているのか今は語ることができませんが、モルモンが多くの成功者を輩出していると述べている人は、他にもいます。

彼女は、3つの点でいくつかのグループが成功していると書いています。この記事では、その3点をモルモンの文化に照らし合わせて評価してみます。前述したように、わたしは彼女がどのように解説しているのか詳細は知りません。わたしの議論はモルモニズムに基づいて語るものです。

モルモンは自分たちがより優れていると思っているか?

「アメリカ人はすべての人は平等で,どのグループも他のグループより優れていることはないと教えられています。しかし,すべての最も成功しているグループの人たちは(大きな声で言わなくても)自分たちがある面では例外的で選ばれ、より優れていると信じています。」

これは営業用の資料からの引用ですが,これによるとモルモン教が,自分たちが他の人たちよりすぐれているとか選ばれているとか考えているから成功すると思わせているという可能性を指摘しているようです。これは微妙な問題で,モルモニズムのある繊細な観点を理解することがこのことに関して求められます。

モルモン教は自分たちにはイエス・キリストの回復された福音があると信じています。そして、地上における唯一の完全で真実の教会であると教えているということは事実です。しかし,そのことには優越感や選民意識は伴いません。モルモンは改宗するかどうかは自由で,誰にもそれを選ぶ機会がいずれ与えられ,それは誰でも強制させられものではなく,死後においても同じであると教えています。この意味は神が彼らを選ぶのではなく,彼らが神を選ぶという意味です。

この点に関してモルモン書,モルモンが聖書と一緒に使っている聖典の中で1つの物語によって特に説明されています。アルマという名の宣教師が,自分たちが選民であると信じている人たちに会い,彼らは教会の礼拝を自分たちだけに限定していました。選ばれているかどうかは富みによって表されました。この民はゾーラム人と呼ばれていましたが,彼らは非常に高価な衣装を身につけ,台の上に順番に立って利己的な礼拝をして,神に自分たちが他の人たちよりも優れていることを感謝しました。彼らは自分たちが神から選ばれていると考えました。又、富が自分たちが選ばれていることの報いであると考えていました。彼らの間にいた貧しい人たちを迫害し,神がこれらの人についてあまり配慮していないと信じていました。

彼らは神が祝福を約束なさるとき,必ずしもそれは金銭に関わるものではないことを理解していませんでした。金銭はしばしば祝福ではないのです。しかし、とりわけこのゾーラム人たちにとってはそうでした。彼らはまた神がその子供たちのすべてを愛しておられることを,そしてその子供たちのすべてが成功して,御もとに戻ってくれることを望んでいるということを理解していませんでした。

ですから,モルモン教は会員であることは選択であると考えていて,自分の意志の及ばない先任されたものであるとは考えていません。神は彼らを選んだのではなく,彼らが神を選んだのです。最近の調査によると,モルモン教は他のどの宗派の人たちよりもこの地上にいるモルモン教ではない人々が天国に行くと信じているようです。

しかし,モルモン教はこの地上にいる間に誰かが福音を伝えてくれたことを幸運であったと信じています。というのは,神は伝道の業をわたしたちに期待されているからです。改宗した人たちには伝道するという大いなる責任があります。その責任には自分の信条をほかの人に分かち合うことが含まれますが,神が与えて下さる祝福にふさわしく生活することも含まれます。これがあるためにモルモン教は神から与えられた賜物を使うようにより熱心に努力します。それはこの世的な成功にも導かれますが,そのような成功はそれ自体が目標ではなく,才能と機会をよく使った結果なのです。

モルモン教は将来に対して不確かさを抱いているか?

の本を宣伝する文句によると次のように書かれています。

「アメリカ人は自分について積極的なイメージを持っているという意味での自己評価が、成功するための鍵であると教えられています。しかしアメリカの最も成功しているグループの誰もが,自分のことに確信を持てず,不適切なものであると感じる傾向があり,自分自身を証明しなければならないと感じる傾向があります。」

この概念は時々異宗教間の対話で出て来るトピックです。とりわけ福音派の人々の間で関心を持たれています。多くの福音派の信者はイエス・キリストを救い主として受け入れたと述べた時から自分の努力は終わって,それ以外に何も要求されないと信じています。つまり,それで永遠に救われるのです。

モルモン教はこのような信条を受け入れません。彼らは,悔い改めは一生涯かけて行なうものだと信じています。自分の行ないによって救われるのだとは信じていませんが,行動も大事だと信じています。完全に改宗した人たちはイエスの教えにできるだけ忠実に努力しようとします。救い主イエス・キリストを愛し,信じるという純粋な理由から行動がなされる時に,神とイエス・キリストに対する決意のレベルが表明されます。

どんなに自分の生活を一生懸命選んでふさわしくなろうと努力しても、天国に行けるという「署名」付きの保証がない限り,わたしたちは不安定な存在なのでしょうか。いいえ、そうではありません。わたしたちは神と住むために自分の罪を喜んで捨てることは賜物であると考えています。モルモン教は神に完全に信頼します。彼らは聖書に約束されている裁きが公正なもので,イエス・キリストはわたしたちのために取りなして下さいます。わたしたちは自分たちに期待されていることを知っています。この世では完全になることはできませんが,いつもそれに向かって努力するように期待されていると知っています。

この絶えず努力することは祝福です。わたしたちは新年の抱負を抱き,それを忘れ,進歩する必要を次の年の1月まで感じないということはしません。モルモン教では絶えず生活を改善するように教えられています。これらの進歩は霊的な領域とこの世的な領域の両方でなされます。

自分が絶えず向上し,成長していると感じ,また時間が十分ではあるが少しも無駄にできるものではないと感じている人たちは,自信が増すものです。わたしたちの自信は簡単に得られる救いというような偽りの概念や,自分にふさわしくない見かけだけの褒め言葉によっても得られません。わたしたちの自信は実際に難しいことを行なうことによって得られます

モルモン教には会員としてあらゆる成長の機会が与えられます。「召し」と呼ばれる奉仕の機会を通して,彼らは新しいスキルを開発します。例えば,わたしはモルモン教になったときとても恥ずかしがり屋でしたが,わたしはすぐにみんなの前で話すようになり,子供や大人を教えるようになり,組織の指導者になり,何の訓練も受けずに英語を第2言語として教えるようになりました。これらの経験は本当の意味での自信となりました。何故ならば自分が想像していた以上のことができたからです。本当の自信は自分の達成したことから来ます。あまり重要でもないことに基づいた空の称賛から来ているのではありません。モルモン教にはそれがあります。それが彼らの自信です。彼らは不確かな気持ちではなく,自信を持っているのです。そのことがしばしばこの世での成功につながります。

今までモルモン教はいつも迫害され誤解されてきました。ですから,未知の世界に入るドアを出る前から不正な判断を受けていると感じられます。このようにして,モルモン教は自分たちが不確かな状態にあると見られているのかもしれません。

モルモン教は快楽を喜んで手放すか?

エイミー・チュアの本を宣伝する文句によると,「今日のアメリカはすぐに得られる喜び,その瞬間に生きるというメッセージを広めています。しかし,すべての最も成功しているグループは自制心と衝動を抑えることを育んでいます。」

前に述べたことに重なりますが,たいていの宗教ではこのことが当てはまります。モルモン教は意図的に,永遠の目標に注意を向けて生きるように教えられています。わたしたちはこの世の生活は成長し,学び,試されるための時であると信じています。神はしばしば地上でのわたしたちの生活の間に祝福を与えて下さいますが,最も大切な祝福はわたしたちの死後に与えられます。モルモン教は永遠のことに心を向けているので,もっと大事なこと,すなわち後に得られる永遠の生命のために,すぐに得られる快楽を喜んで脇におくのです。彼らは意味のある活動に従事することを学び,永続的に価値のあることに集中することを学びます。それは楽しみがないという意味ではありません。彼らも楽しむことを知っています。しかし,彼らの楽しみは,しばしば目的を持って行なわれます。

もちろんこのことによって,彼らは毎日の生活においてとても良く行動できます。モルモン教は家族を支えることができるように良い教育を受けるように励まされます。子供に食べさせることに心配しなくてよければ,もっと永遠のことに注意を向けることができます。このことの意味するところは,多くのモルモン教は遊びの時間を割いて勉強し,しかも幼い時からそれを行ないます。彼らはしばしばまだ学校にいる間に結婚し,子供を育てます。もちろんこれによって生活はちょっと厳しくなりますが,その犠牲に見合った幸せな家族の祝福を見いだします。いつも将来のことを,つまりこの世の生活の将来のニーズと永遠の目標に向かって備えます。

モルモン教は,単にモルモン教であるということによって成功するわけではありません。神はバプテスマに対するご褒美として成功を手渡すわけではありません。彼らの成功は,彼らの信仰が良い労働の規範をもち,仕事と生活のバランス,道徳的な生活スタイル,意味のある将来に目を向けることがあるので成功がついてきます。モルモン教であってもこれらの教えをないがしろにする人は,この世の他の人たち以上に成功することはできません。

モルモン教は他の人たちよりも成功しているでしょうか。多くはそうです。しかし,成功は神がわたしたちに望んでいるような生活をすることからもたらされるもので,それはしばしば一時的なこの世的な快楽より他のものを優先することを意味します。