モルモン教の働く女性

モルモン教の働く女性

金原礼子さんは、ファッションデザイナーとして昭和の時代にご活躍されました。そして今は、在宅介護の会社と家政婦紹介所の代表取締役を務めていらっしゃいます。彼女は信仰深い、才能あふれるモルモン教のキャリアウーマンです。

 金原礼子さんは、誰に対しても隔たりなく常に丁寧な言葉遣いを使われます。オーダーメードの素敵なお洋服に小柄な身を包み、足元は常にパンプスで決めておられます。そのような上品なお姿からはあまり想像がつかないかも知れませんが、彼女の経歴は華々しく冒険に満ちたものです。そんな彼女の胸躍る物語を少し覗いてみましょう。

 日本が終戦を迎えたとき、金原さんは20歳でした。日本は戦争に負けたためにディフレになり、お金はただの紙くずになりました。金原さんは当時、日本楽器にお勤めされていて、福利厚生で洋裁の勉強をお始めになりました。その後、洋裁塾に通われ、夜学、全日制学校にて洋裁の勉強を続けられました。日本楽器を3年で退職し、洋裁の道を高めるために東京に出て新宿の文化服装学院高等裁断科を卒業されました。卒業後、洋裁店にて半年お勤めされました。

 さらに洋裁の道を極めるために、金原さんはフランスで学びたいと思うようになりました。そして神様に祈り、フランスに行けるようにと訴えました。またフランス語の勉強をお始めになりました。エールフランスのデザインコンテストの優勝者にはフランスが与えられることを知り、デザインコンテストに何回か応募をされていました。そして昭和39年、見事にエール・フランスコンテストで受賞され、フランスご招待の切符を獲得されました。

 言語の壁はありましたが、金原さんは神様が必ずフランスの地で道を備えてくださると確信していました。パリでは文通していたフランス人のお宅に2か月10日宿泊されました。そのフランス人の方は日本びいきでいらしたので、日本人留学生と交流があり、その方たちが金原さんに通訳をしてくださいました。金原さんはパリにいる間に洋裁学校やオートクチュール(高級服店の組合)を見学されました。

 パリから帰国した金原さんは、デザインアトリエを設けるために自宅を改装し、3階を住宅、そして1階をアトリエに建て替えました。改装が終わって間もなく、アトリエのドアをモルモン教の宣教師が叩きました。そのときは金原さんはプロテスタントの教会に通われていましたが、本当の真理が分からず悩んでいらっしゃいました。宣教師から渡されたモルモン書を読み始め、やがてモルモン書が真実であることを確信するようになり、1970年3月、バプテスマを受けてモルモン教の会員となりました。(詳しくは金原さんの書かれた「私の改宗」を次回の記事でお読みください。)

 

 ファッションデザイナーとして活躍された金原さんですが、ファッション業界が世俗的なものに変わり、ご自分のやりたいものと方向性がずれてきていました。ちょうどお母さまが設立された家政婦紹介所の経営を退かれたので、そのあとを継ぐことになりました。家政婦の折込求人広告に10数万かけて宣伝しても一人くらいしか応募人は見つかりません。そこで金原さんはお祈りをして求人をすることにしました。すると5人の求職者が自分から訪れてきたのです。経営2年目には家政婦は2倍になりました、そして3年目にはその1.5倍になりました。逆に求職者に仕事がない時には、その方たちのために個別にお祈りされます。そうすると働き先が見つかるのだそうです。今、金原さんの会社には100名の職員が登録されています。お客様は在宅介護と家政婦紹介所を合わせると100名以上いらっしゃいます。

 

 金原さんはこのように話されました。「聖典(モルモン書や聖書)には忠実ならその地に栄えると書いてあります。神様は祈りを聞かれ、助けて下さいます。」経営者としての心得を伺うと、金原さんはこのように話されました。「収入や数字は把握していますが、そのようなことは経理専門の顧問に相談して任せています。また経営コンサルトを役員に迎えています。収入や予算は把握していますし、決していい加減でよろしいとは言いませんが、私は信仰路線です。神様が私の役員です。今、何をしなければならないかを祈り求めて答えをいただきます。」

 

 またお客様や職員と関わるときに、心がけていることも教えてくださいました。それは仕える精神です。イエス・キリストは隣人の足を洗われました。相手が求めているものが5だとしたら、10与える。お客様に仕える。2マイルの精神です。そして人の尊厳を大切にされています。上から教える姿勢ではなく、相手を大切にして、その人の良い面を見ることだそうです。

 

神様に祈る大切さを語る金原さん

神様に祈る大切さを語る金原さん

 初期のころは、金原さんはピンチヒッターとして病院に付き添いに行かれたそうです。ある年末年始に重度の方を3名看たときに、寝る前にお祈りをすると、その方たちは騒ぐことなくお休みになりました。ある職員はがんで余命1ヶ月を宣告されました。その方は年末はご自宅で過ごされたのですが、食べると吐いてしまうために、全く食事を摂ることができませんでした。金原さんはその方のために真剣にお祈りをされました。そしてこのように励まされました。「神様は何でもおできになりますが、人の意思を変えることはなさいません。よくなることを信じて頑張りましょう。祈り、それが御心ならば癒してくださいます。」その方は体調がよくなり、戻さずに食べれるようになりました。そして起き上がり、歩けるようになりました。

 

 モルモン書の中には胸が躍るような冒険の話、苦難から解き放たれる奇跡の物語が描かれています。金原さんはご自分の経営者としての舵取りの様子をモルモン書に出てくる預言者ニーファイと重ねておられます。ニーファイとその家族は紀元前600年にエルサレムから脱出し、荒野を旅し、紅海を抜け、約束の地であるアメリカ大陸へと船で移動しました。

 道中は決して容易ではありませんでした。船の中ではニーファイの兄たちが反乱を起こし、ニーファイをひもで縛りました。すると嵐が起き、進むべき方向を示す羅針盤(リアホナ)が止まり、船は今にも海の中に沈みそうになりました。兄たちは怖くなり、ニーファイを解放すると、羅針盤は進むべき方向を示しました。ニーファイが神に祈ると嵐は止み、ニーファイの思うように船が進んでいきました。「縛られているものから解き放され、自分の思うように船が進んで行くんです。」と金原さんは話されました。

 

 なんてすばらしい信仰なのでしょう。神様は確かに私たちのお祈りを聞いて下さり、助けて下さるのです。金原さんの信仰と勇気に少しでも近づきたいものです。「若いのもいいですが、年を重ねていろいろと経験するのも良いものですね。」と金原さんは微笑みながらお話してくださいました。