末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)の女性は今日かなり注目されていますが,必ずしもバランスの取れた見方をされているわけではありません。わたしは最近新聞に会員の女性としての経験についてコメントするように依頼されました。しかし,それは肯定的であるということで拒否されました。そういうこともあるけれど、わたしがかつてそうであったように、教会員の女性に好感を持っている人はたくさんいます。そして、わたしは祈り,神からこの教会が真実であるとの証を受けたので,改宗しました。わたしが教会員であることは,今日の自分になるのを助け,霊的にもこの世的な意味でも助けになっています。
末日聖徒イエス・キリスト教会の女性に対する最初の印象
わたしは16歳の時に末日聖徒イエス・キリスト教会のことを研究し始めました。たくさんの情報を読みました。それらは教会について支持するものもあれば,反対のものもありました。しかし,反モルモン教的な資料はあまり魅力を感じませんでした。間もなく,そのような資料は半分の真実と多くの歪曲があることに気づきました。
わたしの会った会員の女性は母に似ていて,他の女性たちとは随分違っていました。わたしはフェミニストになるように育てられましたが,母はとても伝統的な役割を選んでいました。
わたしが育った時代である60年代および70年代のフェミニストの運動は、それまでの女性の運動とあまり似ていませんでした。初期の女性たちが権利を求めて戦ったことを歴史で学びました。彼らは女性であることを誇りに思い,彼らの役割を安全に果たすために必要な権利を求めているだけでした。私の時代のフェミニスト運動は,女性にも男性と同じ人生における役割が大事で,伝統的な女性の役割は悪いと感じさせるようなものでした。それは,自分がフェミニストと自称するわたし自身にとっても問題であると思われました。わたしは,たぶん1800年代のフェミニストでした。
わたしが末日聖徒イエス・キリスト教会の礼拝行事に参加し始めた時、私はそれとは対照的に,女性であることに誇りを感じている女性たちを見ました。わたしは指導し,人生のチャレンジに驚くような方法で対処し,女性らしくて,同時に強い人たちを見ました。彼らはあらゆる良い特徴を併せ持っているようでした。そのことがわたしには魅力的でした。わたしは女の子であることは悪い事で,女性が伝統的にやってきたことは意味のないことであるという考えが好きではありませんでした。わたしの母の生き方は、わたしには意味の無いものではありませんでした。わたしは彼女の優れた選択によって徳を得てきました。
1970年代に就労している女性は少ないながらも存在はしていましたから,教会の女性の活動は夕方にも,日中にも行われ,職業の状態にも関わらず,どちらか,あるいは両方の活動に参加することができました。両方のグループの人たちは,教会以外の世界の人たちと比べてはるかに家族を第1に考える傾向があることを見ました。わたしは,教会員の女性たちが子供を持つことが負担であるとか,職業の妨げになると考えているのを聞いたことがあまりありませんでした。
教会の指導者の語ることがわたしの考えと共鳴しました。彼らは女性を称賛し,男性が女性を尊敬と誉れを持って扱い,女性が自分の可能性を過小評価しないように教えました。その当時の他の教会のほとんどどこにもなかったように,女性たちは説教をし,集会の中で祈り,ある状況では男性たちをリードしていました。わたしには教会員の女性について一般に言われていることと,わたしが実際起こっているのを見たことには違いがあると気づきました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になったことが、わたしをどう変えたか
何年か前,わたしは小さい頃から会っていない親戚に会いました。彼女は部屋の隅で本を手にして座っている子供のわたしを覚えていました。その時の事をこう語りました。ある時、みんなが祖母の家に向かっている時、わたしは立ちあがって,車に向かって歩いて行き,本から少しも目を離すことがなく,ずっと車の中でも読み続け,車から出て,玄関の方に歩いて行き、隅の方に座りました。本から目を離すこともなく,誰にも話しかけることがありませんでした。
放っておかれたら,わたしは生涯そのようにして時間を過ごしたかもしれません。わたしは実生活を送るよりは,人の生き方について読む方を好んでいました。わたしが教会員になった時、教会はそのようには機能していないことに気づきました。わたしはただ福音を読むだけではいけませんでした。私はそれを生活の中で実践する必要があったのです。
教会の指導者はわたしに奉仕の機会を与えてくれました。わたしの最初の「召し」はクラスの秘書でした。「召し」は教会の言葉で,教会が機能するための役割で、皆に与えられます。わたしは17歳になったばかりでした。わたしの受けた説明は,指導者会に出席しなければならず,そこで教会の指導者がどのように働くかを学ぶ経験をするためだということでした。そういうことをわたしが学ぶ理由が,いつかわたしが指導する立場に立つ準備であると知って気落ちしました。わたしがですって?わたしは良い指導者に従うことにはすぐれていましたが,自分が指導することなどありませんでした。そういうことは考えたこともなく,望みもなく,自分では指導力は皆無であると思っていました。
ほどなくして,成人の女性に教える割当を受け,それから子供に教える機会がありました。それからわたしは指導する役割を与えられましたが,それはまだ18歳の時でした。わたしの2倍くらいの年齢の人たちを指導する役割を与えられたのです。予想した通り、何もかもうまくできませんでしたが,助けを求め,それを得ました。優しく,指導の仕方を教えてもらいました。さらに,できると励ましてもらいました。そして,結果、できたのです。その後、私の好きなことにはなりませんでしたが,何度も指導してきました。
教会はわたしが本の陰に隠れて,現実から逃げ、本の世界にのみ生きることを許しませんでした。何十年にも及んで,わたしは自分の快適な空間から何度も脱皮するように強いられてきました。教会の中で,市民権を受けたり,英語を第2言語として学びたいと思っていたりする人たちを教えてきましたが,それについては訓練を受けたことはありませんでした。わたしは思いやりの奉仕活動を監督する立場に立ち,シャイな自分には到底難しいであろうことをしてきました。見知らぬ人を訪問したり,プロジェクトを組織したり,あらゆる年齢の人たちを教えたり,そしてある時は自分の夫も含む人々を指導する役割にも召されました。反抗期真っ盛りの十代の子供たちと活動する責任も割り当てられました。
わたしが学んだスキルが自信をくれて,著者になり,自分のビジネスを始めました。わたしは世の中に出て行って,他の人たちと交わり,指導し,教え,他の人たちが生活を改善する力となる方法を学びました。わたしは自分が思ったよりできる人間であると分かり,自分が意図しなかったことも達成できていることに気づきます。
結局わたしは母の生活スタイルを選ぶことになりました。わたしは外で働く必要はありませんでしたが,キャリアを積んでいる女性も教会には多くいます。実はわたしの夢は先生になることでした。でも、他の子供を教えるよりは,自分の子供を教えたいと思いました。そしてホームスクーリングをすることにし,自分の子供たちを教えました。(立派に成人しました!)数冊本を書き,夫とビジネスを経営し,今は小さい子供たちを教えています。そして,わたしは素晴らしい本を読むのがまだ好きです。でも人生を積極的に生きているので,ただ読んでいるだけではありません。
イエス・キリストの福音についての証を得たので,わたしは教会に入りました。そのことによって、わたしは自分が神の子供であると、より良く自覚するようになりました。神が,わたしがなれるとご存知である自分についてもっとよく理解できるようになりました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の女性であることが、たくさんの機会を与え、わたしの能力を高めたのです。
召されて半年も経たない未熟な日本語も満足に話せず、常に!命令口調の外人ビショップには辟易してる中、秋の総大会を日本で視聴参加予定の頃、松戸ステークの活発な聾唖会員から日本各地で聾唖者が参加するなら地元の神権指導者に話し、礼拝堂内の実際に聾唖者が見れる席の確認の為に礼拝堂内の写真を送信する依頼を受け、地元外人ビショップに話したが ガチガチな石頭で ステークや地元ビショップに従わなければ!地元の会員ではなくなる!と 糾弾され脅かされてしまい、私は聾唖者の為に、と判断して 誰もいない早朝の礼拝堂のスクリーン設置場所を写真に撮って送信し大会後に日本語の通じない外人ビショップから 人間とは到底 想えない酷い!言動を浴びました!
以後、心情的には非常に不愉快極まりない傷が残り、距離を空けてますし片道2時間掛かるステークセンターへは体調が優れない事も重なり2度とは最低なステークを管理するらしい大会には行かない事に決めました。
まるやま姉妹、それはとても悲しく辛い経験をされましたね。きっと神様もイエス様も、まるやま姉妹が傷ついたことをご存じで悲しんでおられることと思います。何か辛い時には、イエス様のためにと思ってされるときっと違いが出てくると思いますよ。姉妹のためにお祈りします。