ローガン神殿結婚

ローガン神殿における娘さんの結婚式での家族写真、右から2番目がノーム・フクイ氏
エリザベス・フクイ氏提供

 

新しい宗教に改宗者を最も引き付けるものは、教義ではなくその宗教の信者であるという人がいます。ノーム・フクイ氏にとっても同じでした。

新しい宗教に改宗者を最も引き付けるものは、教義ではなくその宗教の信者であるという人がいます。

ベア・リバー市出身のノーマン(ノーム)・フクイ氏にとっても同じでした。ノームは農家の少年から銀行の重役になっただけでなく、仏教徒から末日聖徒イエス・キリスト教会のビショップになったのです。

ノームの人生はモルモン開拓者の旅のようでした。

「私の日誌を読みたいという人もいます。」とノームは話します。

おそらくいつの日か出版されることになるかもしれませんが、今のところは、ここにそのハイライトを載せましょう。

フクイ家族の家は幼いノームにとって信仰心-日本の仏教への信仰心-にあふれた場所でした。家の中にはノームのお母さんが受け継いだ仏壇があり、当時は線香のにおいが漂っていました。その頃、幼いノームはボックス・エルダー郡にある小さなお寺に通っていました。

「お寺は私たちのたまり場でした。」とノームは思い出して言います。「戦時中、日本人が強制収容所に送られ、ベア・リバー市には外出禁止令が発せられていた頃、お寺は物事の中心でした。」

週に一度、住職がソルトレーク市から北方にやって来て、日本語で法事や説教を行いました。

「私は親切で思いやりを持つようにと教わりました。でも、それ以上にすべてがとても古臭くて解りにくかったのです。すべてを理解することはできませんでしたし、集会が長く感じられました。」とノームは言います。

しかし、仏教はフクイ家族という車輪の中枢を成すものでした。車輪を回す力は日本生まれの女性であるノームの祖母であり、祖母には「昔の習わし」が染み付いていました。

ノームは言います。「祖母が主導権を握っていました。祖母は真の女家長であり、強い女性でした。」

ノームは6歳の時に冗談半分でモルモン教のプライマリー(子どものクラス)に友達と一緒に出席しました。今日、ノームは当時を振り返り、そのことは正念場であったと感じています。突然、ノームはお祈りをするように頼まれました。前に出て、腕を組み、頭を下げて、「次は何?」と思いました。

「その時、何を言うべきか耳元でささやく優しい声を聞きました。それはコラ・ミスラシ姉妹の声でした。ミスラシ姉妹やその時のことは決して忘れないでしょう。」とノームは話します。

徐々に、ノームは自分がモルモン教の信仰に引き付けられていくのがわかりました。永遠の家族という考えが気に入っていました。教会員の快活な楽観主義が好きでした。それでも、ノームは両親を尊敬していましたので、両親から改宗するかどうかの決断は18歳になるまで待つようにと言われた時には、待つことにしました。ノームがバプテスマを受けることを告げた時、両親は理解を示してくれましたが、「おばあさんにちゃんと話しなさいよ。」と言われました。

それはノームにとって人生におけるもう1つの正念場となりました。

「祖母がどのように反応するのか全くわかりませんでした。」とノームは言います。「お婆さんは怒るだろうか?悲しむだろうか?祖母の部屋に入ってモルモンになるつもりであることを話しました。祖母は私を見上げて、日本語で、『仏教も良いし、モルモン教も良い。1つ選んで、良い人になりなさい。』」ノームはお婆さんの言葉を心に刻みました。いずれノームの3人の姉妹たちもモルモン教に改宗しました。キャッシュ・バリーの独身ワード(地域ごとのグループ)で、ノームは将来の伴侶のイレインに出会いました。やがて、ノームは、ミスラシ姉妹がノームを最初の探求の旅へと誘った、自分が育ったワードのビショップに召されました。

「ワードの会員たちは少年に教えるように私を教えてくれました。そうやって私は何とかやって来られたのです。会員たちは私を教えることを喜んでくれていました。」とノームは話します。

今日、フクイ家族は家族の受け継ぎにつながっています。肉とじゃがいもを食べて育ったイレインは和食の作り方を学び、家族は未だに日本の祭日を祝います。そして今日、ノーム・フクイ氏は祝福を感じるだけではなく導かれていたと感じています。

「私の両親は良い両親でした。」とノームは言います。「子供たちのためにすべてを犠牲にしました。ですから私にとって、仏教徒として育てられたことは強みです。仏教は私に、誰であっても人の良いところを見る能力を与えてくれると共に、人の気持ちを理解することを教えてくれました。」

この秋、ノームの息子は日本への伝道から戻ります。日本はノームのお婆さんの大切な親愛なる祖国です。この話には輪を完成させる詩的なエンディングがあります。お婆さんは強くて怖い人だったかもしれませんが、孫息子が伝道するために祖国に戻って行ったことは、きっとお婆さんに笑顔をもたらしたことでしょう。

 

この記事はもともとデゼレトニュースに投稿されたものでジェレミー・アール・ジョンストンによって書かれました。