「モルモンの時」という表現はわたしたちの多くにとって耳新しいものではありません。2012年の大統領選挙の推移に興味を持っていた人たちなら誰でも,このキャッチフレーズに非常に親しみを感じるようになったと思います。ミット・ロムニーは末日聖徒イエス・キリスト教会の熱心な会員ですが,共和党の指名を受けていましたので,多くの人々はモルモニズムについて大変興味を持ちました。その時までこの宗教は多くの人々にとっていくぶん神秘的なものでした。
しかし,合衆国の大統領の職にモルモンが出馬したことだけがモルモニズムについての関心が突然高まったことの理由ではないことを注意深く述べるべきです。批評家から大喝采を受けた風刺的なミュージカル「モルモン書」は,残酷な軍事的指導者によって脅かされている人々の住んでいる北ウガンダの片田舎に送られた2人の若いモルモンの宣教師の物語です。2011年の3月にブロードウェイで皮切りになり,比較的短期間に著しい人気を博しました。このショーはユージン・オニール劇場のチケット販売で新記録を達成しました。それはまた,9つのトニー賞を受賞し,その一つはミュージカルの最優秀賞,そして最優秀劇場アルバムとしてグラミー賞を受けました。
この2つの主要な出来事があり,「モルモンの時」という表現がすぐにローカルやソーシャルメディアが取り上げる話題の中では今日的な流行語になりました。しかし,ミット・ロムニーは合衆国大統領として出馬せず,「モルモン書」がもはや賞を受けず,「モルモンの時は」は突然色あせてしまいました。しかし,それは本当にそうなのでしょうか。
黒人のモルモンと「黒人モルモンの時」
ミット・ロムニーがバラック・オバマに敗北して2年後に,ミア・ラブという元ユタ州サラトガスプリングの市長が,国会議員として初めて黒人の女性共和党員に選出されました。
2014年11月17日の「デゼレトニュース」のオンライン版によると38歳のラブは、勝利のスピーチの中で,「多くの反対者が言っていたのは,ユタは決して黒人の共和党の末日聖徒の女性を国会に選ぶことはないだろうということでした。それを実現しただけでなく,国で初めてそれを行ないました。」彼女の勝利に伴って, 機敏な注意がもう一度末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に向けられました。そして,この「モルモンの時」が再燃焼しましたが,今回最先端で注目されたのはイエス・キリスト教会の黒人の教会員でした。
ラブだけが国中の関心を惹いたのではありません。同じ晩,19歳のミルウォーキーバックスの新人フォワードであるジャバリ・パーカーも十代としてはNBA歴史で初めて,最初の3つのゲームで2回のダブル・ダブルをしました。
パーカーはまた過去30年間で最初の3回のリーグの遠征で1つのダブル・ダブルをした十代の選手の7番目になりました。イエス・キリスト教会の会員はトーマス・S・モンソン大管長がパーカーのことに関して,彼が父親から与えられた勧告,「暗闇の中でも,明かりのもとでも,同じ人になりなさい」を引用したことを今年の総大会で聞いたことを思い出すかもしれません。
もうひとりの著名な黒人のモルモンは、25歳のエゼキエル・「ズィギー」・アンサーというギアナのアクラから来た青年です。母国で少年の時、ズィギーはサッカーやバスケットボールをして,アメリカンフットボールについては何も知りませんでした。モルモンの信仰に改宗した後,2008年1月12日18歳でギアナのマディナにおいてバプテスマを受け,後に合衆国に来て,ブリガム・ヤング大学に入学しました。そこで初めてアメリカンフットボールを体験しました。2.5シーズン後彼はNFLのドラフトで全体の5番目で選ばれました。彼はまたデトロイトライオンズによってその年のメル・ファー新人にも選ばれました。特に興味深いことは,ガーナでズィギーが通っていたレゴンのプレズビテリアンの中学校のモットーです。「あなたの光の中で,わたしたちは光を見ます。」彼はまさにその学校のモットーの生ける証人であり,証です。その光とはイエス・キリストの福音です。彼はそれが自分の中にある光として世界中に輝くようにしたのです。
さらに世界の脚光を浴びたのは,世界的に著名なタレントであるグラディス・ナイトで,彼女は1997年に末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。彼女はトップのゴスペルアルバムでチャートに載るという成功を修めました。彼女の最新のプロジェクト、「私の心のあるところ」は彼女の生涯の証です。イエス・キリストの回復された福音は彼女の生活に大きな平安と喜びをもたらしました。その平安はすべての理解を超えるもので,それは彼女のまわりに新たなオーラがあることで認められます。
黒人のモルモンの貢献と教会の発展
合衆国の中における末日聖徒の割合は2%です。そして,そのうちの黒人の割合は正確には分かりません。しかし,ユタの場合,人口の60%がモルモンで,その中で黒人の割合は2%未満です。しかしながら,今日の「時」が「黒人のモルモンの時」と名づけられるかどうかは別として,イエス・キリスト教会の中での黒人で活躍している人たちの割合が増加しているのは事実です。
ごく少数を上げるだけでも,ハーバード大学で教育を受けた、ケニア出身のアメリカ人であるシャカ・M・カリウキが投資会社クラモキャピタルを経営しました。イェイ・サマキはマリの市長ですが,マリの大統領選に2度出馬しています。前のイリノイ州の公衆衛生の行政官であったキャシー・ストークスはユタの著名なリーダーになっています。デゼレトニュースによるとアレックス・ボーイのディズニーの音楽のカバーは、コールドプレーの最近のヒットを上回る5千4百万回のヒットをYouTubeで獲得しました。
そのデゼレトニュースの記事についてのある人のコメントは:
「わたしは末日聖徒のたくさんの模範に気づけてとてもうれしいです。その模範とは,教会の他の会員の一部からは締め出されていた,ないしは疎外されていた人たちが優れた働きをすることで,同じ天の両親の子供同士だということで受け入れられているようになってきたと感じられることです。わたしはそのような傾向が,教会の内外で起こり,アフリカ系の子孫とほかの人たちにも起こるように望んでいます。わたしは,ソルトレイクの一角で育ちましたが,そこは市としては白人が圧倒的に多いところでありながらも,人種が異なる人たちができる限り相互に交流していました。11歳になるまで,人種差別なるものが存在することさえ知りませんでした。その時から差別がなくなるように日々願っています。その夢が実現する方向で進んでいるこれらの実例を見られると素晴らしいと思います。」
事実黒人の末日聖徒は,有名であろうとなかろうと,その信仰に対して画期的な方法で貢献していて,全体として世界がより善いものとなるように影響しています。教会の歴史としては1848年から1978年の6月までアフリカ系の男性には神権が与えられていないという不利な時期であったにもかかわらず,黒人の会員数は増加し続けました。デゼレトニュースの記事が指摘しているように:
「組織としての教会は,1978年まで黒人には神権を与えていませんでした。創始者ジョセフ・スミスは奴隷制廃止を奨励しました。後に黒人男性は神権を授けられました。教会は最近学者や教会の指導者によって書かれた資料を公表しましたが,その中で『黒い皮膚は神から不評を買っている。。。。。ないしは黒人や他の人種ないし民族が他の人たちよりおとっていると考えさせるような理論を直接否認しています。今日の教会の指導者は,一致してあらゆる古今の人種差別をそれがいかなる形であれ,非難しています 。』」
教会の会員の間には若干の違いがあるかもしれません。それは伝統,文化,背景の違いから来ていますが,現実的にはわたしたちはすべては同じ天の父の子供です。ですから,互いに兄弟姉妹なのです。わたしたちは皆いつか御前に永遠に住めるようになるために努力しています。ですから,「時」が「モルモンの時」と単に呼ばれようと,「黒人モルモンの時」と呼ばれようと,タイトルがどうであれ,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは皆「時」を共有し,違いがわたしたちを分割させはしません。むしろ,わたしたちは1つの家族として団結して立ちあがるのです。
まとめ
記事のタイトル:ミア・ラブ,黒人のモルモン,そして黒人モルモンの時
著者:キース・L・ブラウン
要旨:ミア・ラブはモルモンです。最初の黒人女性の共和党員として国会議員に選出され,「モルモンの時」が「黒人モルモンの時」として再び注目されています。