ウォレン・ジェフスによって率いられる原理主義末日聖徒イエス・キリスト教会(FLDS)がニュースに登場するたび、混乱する人がたくさんいます。その報道が末日聖徒イエス・キリスト教会のことを指すと誤解してしまうのです。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、よく「モルモン」というニックネームで呼ばれます。どちらの組織も、聖書のほかにモルモン書を使いますが、二つの組織の間には何の関係もありません。主流の方の末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)は、FLDSの行動について何の統制権も持っていません。それは、カトリックがプロテスタントを支配しないのと同じです。末日聖徒イエス・キリスト教会はLDSと略称されることがありますが、この頭文字は末日聖徒を意味するLatter-Day Saintsからきています。
FLDSの始まり
FLDSは末日聖徒イエス・キリスト教会から分派した組織です。末日聖徒は一夫多妻制をやめましたが、後にFLDSとなった人々は、その決定に反対した人たちです。その当時の預言者ウィルフォード・ウッドラフを拒否し、自分たちの宗教を作りました。最初は「御業」や「神権の御業」という名前で自分たちを呼んでいました。1942年には、the United Effort Planという名前になり、現在の名前を1991年から使っています。彼らの組織は長年にわたって何度も分裂し、現在ではFLDSに所属している人の中に末日聖徒イエス・キリスト教会の会員だった人はほとんどいません。彼らは末日聖徒イエス・キリスト教会とは何の関係もありません。
FLDSの教え
FLDSは、末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の3人の預言者を、預言者として受け入れています。その3人とはジョセフ・スミス、ブリガム・ヤング、ジョン・テーラーです。4番目の預言者であるウィルフォード・ウッドラフを拒否したため、彼以降の教会指導者は末日聖徒とは完全に異なります。その当時以降に末日聖徒イエス・キリスト教会に導入された教義は全部拒否され、彼らは独自の教義を作りました。今日では、彼らの教えは末日聖徒イエス・キリスト教会のほとんどの教えとまったく異なっています。
FLDSの会員数は非常に少なく、2000年初頭にテキサスで行なわれた強制捜査では11,000人であると報告されています。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員数は現在およそ1,680万人です(2021年12月末)。現在のFLDSの指導者ウォレン・ジェフは刑務所に入っています。末日聖徒の現在の指導者はラッセル・M・ネルソンですが、現在も過去においても彼が一夫多妻を行ったことは一度もありません。
FLDSと末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)は違う宗教
今日の末日聖徒イエス・キリスト教会では一夫多妻制を許可していません。教会の公式サイトには、福音のトピックで一夫多妻制について次のような説明がされています。
「家族は神によって定められたものです。男女間の結婚は神の永遠の計画にとって必須のものです。時によって、神の特別な目的のために、預言者を通して、複数の結婚(時々一夫多妻制と呼ばれる)を命じられてきました。末日聖徒はこの慣習をおよそ50年間、1800年代に行ないました。しかし、1890年にウッドラフ大管長によって出された公式宣言によって、そのような結婚の執行は公式に終わりました。その時から、複数の結婚は教会では認められておらず、さもなければ会員権を剥奪されます。」
次のビデオは第、15代大管長であるゴードン・B・ヒンクレーが、末日聖徒イエス・キリスト教会とFLDSの違いについて説明したものです。
1800年代に末日聖徒イエス・キリスト教会によって実施された一夫多妻制は、今日のFLDSによる慣行とはまったく違っています。FLDSのように命令ではありませんでしたし、昇栄のために不可欠であるとはされていませんでした。FLDSでは、末日聖徒にはない「配置」の律法を実施してきました。この習慣では、女性たちは男性に妻として割り当てられ、もし夫である男性が罰を受けるような状況になった場合には、妻は子供と一緒に新しい男性に割り当てられることがあります。FLDSの結婚は割当で決まり、昇栄するために一夫多妻制をすることが必須であると考えられています。
末日聖徒イエス・キリスト教会が一世紀以上前に一夫多妻制を実施していた時、一夫多妻婚は義務づけられておらず、ほんの一握りの会員だけが関与していました。FLDSの男性は少なくとも3人以上の妻を持つように命じられていますが、末日聖徒は数については特定されていませんでした。多くの部外者は,末日聖徒の女性が一夫多妻制を継続するように訴えたと聞いて驚きましたが,それは一夫多妻制が自由意志に基づいたものであり、一部の女性にとって、ほかの女性にはない自由と利益があったと理解していませんでした。
配置するという習慣は、末日聖徒間では行われませんでした。教会が特別に援助を要請する以外は、男性が妻を選びました。そして,その女性の承諾を受ける必要がありました。男性と同様に、女性にも結婚の申し出を断る権利がありました。男性の最初の妻の承認も必要でした。それから教会にも許可を求め、新しい家族をきちんと養い、かかわるすべての女性たちから承諾を得たのです。末日聖徒の女性たちで、多妻結婚(末日聖徒が一夫多妻制に対して使う用語)をした人たちの大多数は離婚した人か未亡人でした。10代の女性たちが結婚することも時々ありましたが、この時代にはよくあることでした。当時、12歳になれば法的に結婚することができ、14歳以上の女性は結婚するのに十分成熟していると見なされていました。過去の行いを現代の基準で判断しないようにすることが大切です。「ティーンエイジャー」という概念はごく最近のとらえ方です。歴史の大分部では、10代は大人として見なされ、彼らの多くがフルタイムで働いて家族を支えるか、独立して生活していました。
離婚は奨励されていませんでしたが、女性が多妻結婚にうまく適応できないと感じた場合には離婚が認められました。男性の場合は解決方法を探し、結婚生活を維持できるように言われましたが、それでも離婚は可能でした。この制度では女性にたくさんの特権が与えられていました。実際女性たちの多くは、普通の結婚をしている人たちより自由が多いと感じていました。働いてキャリアを積んだり、高等教育を受けるため学校に戻る人たちもいました。中には夫の支援を受けて、東部で参政権運動に加わる人もいました。またある人は、自分の夫に対抗して選挙に出馬して当選したこともありました。教会の第2代大管長だったブリガム・ヤングは、当時の女性たちが就かないような職業に就くことも奨励し、他の国で受け入れられるようになるずっと前から、女性に医者や簿記係などになることを勧めていました。
エメリン・ウェルズは、夫の注意が全部自分に向いている人よりもっと自由があるとよく言っていた女性の1人です。夫のためにフルタイムの責任を負うことがなかったので、彼女は女性の政治参加を提唱する雑誌の編集長となることができました。何度も東部へ足を運ぶことによってスーザン・B・アンソニーと親交を深め、後に婦人参政権協会の副会長に就任し、連邦政府に奪われたユタ州の女性の選挙権回復に助力しました。
エライザ・R・スノーはジョセフ・スミスの妻となり、未亡人になった後ブリガム・ヤングに嫁ぎましたが、彼女も一夫多妻制は正しく行なわれれば女性には害がないと感じていました。
「わたしは、ここに集まった聡明な女性のみなさんに尋ねます。この地上でわたしたち以上に自由があり、崇高で輝かしい特権を享受している女性たちが他にいると思いますか。いいえ!女性が奴隷状態にあるという考えそのものが、良識に反するものです。……神の女性として、高く責任ある地位に就き、聖なる責任を果たし、女性として、独裁者としてではなく、夫の相談役として、女性として最も純粋で気高い意味で、夫にとって真の助け手なのです。わたしたちが声を上げるのは、そうする権利があるからだけでなく、正義と人間性が求めているからです。(ジェイナン・モーガン・ペイン,「エライザ・R・スノー:First Lady of the Pioneers」エンサイン,1973年9月,62ページ)
1870年1月、末日聖徒イエス・キリスト教会の女性は、この教会の女性であることの支持を表明するために大会を開催しました。大会に参加した記者たちは、末日聖徒の女性たちが自分たちが想像していた人たちと違うことに困惑しました。女性たちは一夫多妻制や世界における女性の役割について語りました。彼女たちは、末日聖徒が女性を含むすべての会員に教育を提供していることを体現していました。
今日の末日聖徒イエス・キリスト教会は、FLDSの人たちとはまったく異なる生活をしています。末日聖徒たちは孤立した共同体に住んでいるのではなく、世界中いろいろな場所に住み、仕事があり、学校で学んでいます。服装は流行りを取り入れても慎み深いものにしています。地面につくほど長いスカートをはいたり,特定の色のものだけしか身につけたりすることはありません。自分の好みで髪の毛を長くしたり短くしたり、ヘアースタイルも自由に選ぶことができます。お見合いを強制されることもなく、夫と妻は対等な関係だとされています。
末日聖徒イエス・キリスト教会は、一人の男性と一人の女性の結婚が神の基準であると考えています。一夫多妻制は、神がその目的を達成される時にのみ行なわれます。一夫多妻制を行うべき時は100年以上前に終わり、合法である地域でも教会は一夫多妻を禁止しています。一夫多妻制を行なっている人たちは、その結婚を取りやめ、すべての子供たちの必要を満たす責任を受け入れることに同意しなければ末日聖徒の教会に入ることはできません。
名前は似ていますが、この二つの宗教は慣行と教義においてまったく異なっています。
資料:
一夫多妻制の過去と現在, ニュースルーム,2008年5月5日
時満ちた時代の教会歴史,生徒用マニュアル,第33課:迫害の10年間,1877−1887
一夫多妻制主義者との違い,LDSニュースルーム,2008年6月
わたしの王国における娘たち,第4章
著者:テリー・リン・ビトナー