カルビン・ニュービーは結合組織の稀ながんである脂肪肉腫と診断された。彼は生きている間に100のモルモン教(末日聖徒)の神殿を訪問する目標を達成した。
彼が診断された2010年から2015年にかけて、ニュービーは複数回の大手術、肺生検、肺切除、2クールの放射線療法、3か月の化学療法を受けてきた。しかしこれによりニュービーが人生を十分に生きることを阻止するものとはならなかった。
「わたしはがんでは死なない。わたしはがんとともに生きる。」
肉体的には辛い期間であったが、ニュービーはスカイダイビング、登山、メカニックブル フーマンチュー(ロデオの機械)、24年間音信のなかった友人探し、世界中にあるモルモン教の100の神殿を訪問した。
教会の活発な会員として、ニュービーは主の神殿で感じる平安な気持ちを愛していた。そのため、がんと診断される前に100の神殿を訪問する目標を立てた。しかしがんの発病に伴い、この目標達成は緊急を要した。ニュービーは35年間連れ添った妻ジョーンと神殿を訪問した。以下が彼が2010年から訪問した神殿のリストである。
- 43 ユタ州オーカーマウンテン-2010年-がんと診断
- 44 ニューメキシコ州アルバカーキ-2011年
- 45 アリゾナ州スノーフレーク-2011年
- 46 ユタ州モンティセロ-2011年
- 47 ワシントン州コロンビアリバー-2011年
- 48 ハワイ州コナ-2012年
- 49 ネブラスカ州ウィンタークォーターズ-2012年
- 50 オハイオ州コロンバス-2012年
- 51 オレゴン州メドフォード-2012年
- 52 カナダ・バンクーバー-2012年
- 53 モンタナ州ビリングズ-2012年
- 54 ユタ州ブリガムシティー-2013年
- 55 カリフォルニア州レッドランズ-2013年
- 56 アリゾナ州ヒラバレー-2013年
- 57 コロラド州デンバー-2013年
- 58 ミズーリ州カンザスシティー-2013年
- 59 ケンタッキー州ルイビル-2013年
- 60 ノースカロライナ州ローリー-2013年
- 61 サウスカロライナ州コロンビア-2013年
- 62 ジョージア州アトランタ-2013年
- 63 アラバマ州バーミンガム-2013年
- 64 テネシー州ナッシュビル-2013年
- 65 テネシー州メンフィス-2013年
- 66 ルイジアナ州バトンルージュ-2013年
- 67 テキサス州ヒューストン-2013年
- 68 テキサス州ダラス-2013年
- 69 テキサス州サンアントニオ-2013年
- 70 オクラホマ州オクラホマシティー-2013年
- 71 テキサス州ラボック-2013年
- 72 カナダ・カルガリー-2014年
- 73 カナダ・エドモントン-2014年
- 74 ミシガン州デトロイト-2014年
- 75 カナダ・トロント-2014年
- 76 マサチューセッツ州ボストン-2014年
- 77 カナダ・ノバスコシア州ハリファクス-2014年
- 78 ニューヨーク州パルマイラ-2014年
- 79 ニューヨーク州マンハッタン-2014年
- 80 フロリダ州フォートローダーデール-2014年
- 81 アリゾナ州ギルバート‐2014年
- 82 アリゾナ州フェニックス-2014年
- 83 オーストラリア・メルボルン-2014年
- 84 オーストラリア・シドニー-2014年
- 85 オーストラリア・ブリスベーン-2014年
- 86 ユタ州オグデン-2014年
- 87 ミネソタ州セントポール-2015年6月16日
- 88 ノースダコタ州ビスマーク-2015年
- 89 ブラジル-2015年6月16日
- 90 パラグアイ・アスンシオン-2015年6月16日
- 91 カナダ・サスカチェワン州レジナ-2015年6月16日
- 92 パナマ・パナマシティー-2015年6月16日
- 93 コスタリカ・サンホセ-2015年
- 94 メキシコ・ソノラ州エルモシージョ-2015年6月16日
- 95 メキシコ・チワワコロニアフアレス-2015年6月16日
- 96 デンマーク-2015年6月16日
- 97 不明
- 98 スイス-2015年
- 99 フランス-2015年
- 100 ドイツ-2015年
ニュービーは2015年5月20日に101番目としてペイソン神殿訪問を計画した。しかしニュービーは2015年5月19日午後5時に死去した。ニュービーの死亡記事は彼の驚くべき生涯と達成を細かに記していた。
世界中の100の神殿を訪問についてさらに写真を見るには家族のFacebookページを参照。
写真はニュービー家族の厚意による
この記事はもともとブリジェット・クレイスによって書かれ、lds.netに投稿されたものを高根澤リエが翻訳したものです。