リンジー・グラウス ブリガム・ヤング大学学生。預言者により書かれた「高価な真珠」を研究中で「モルモン」はこれを聖なる書物としています。末日聖徒イエス・キリスト教会会員。この投稿は「高価な真珠」のモーセの書からのものです。モーセの書は預言者ジョセフ・スミスに1830年6月―1831年2月までに明らかにされた聖書からの翻訳の抜粋です。
父なる神は文字通りわたしたちの霊の父です
モーセのようにわたしたちは父なる神の子供であると言われており,わたしたちが見ようとするなら,わたしたちもイエス・キリストの業を見ることができるのです。わたしたちはこの地上でなすべき仕事があると言われています。わたしはよく疑問に感じているのですが,その仕事がどのようなものであるかについてヒントのようなものを持っていると思います。
「高価な真珠」のモーセの書の第一章を読むといつも思うのですが,サタンには二度と耳を傾けたくはありません。わたしは聖文に書かれている対比,モーセが父なる神の栄光と比べてそれがサタンにはないことを認識するところが非常に好きです。モーセはそれを判別して感じたのでしょう。彼は自分の置かれた状況に注意を向けます。わたしだったらどうするでしょう。このような状況で選択をしなければならないとき,自分は誰の言葉に耳を傾けるべきか考えなければなりません。
この瞬間モーセは,父なる神との関係を真に理解しました。神の力によって,サタンに誘惑されなかったのです。彼は神の栄光を自分の上に感じ,彼はサタンを追い出します。彼はサタンが栄光を持っていないことをサタンに告げるのです!もし自分がモーセと同じ経験をしたら,多分わたしは恐れるでしょう。サタンは本当に恐ろしく威嚇するような霊ですが,モーセは自分が何者であるかを知っていたのです。彼は父なる神の息子なのです。彼は自分が神から授かった受け継ぎと可能性を知っていたのです。
この章を読むと,わたしはもっと良い人になりたいと思います。自分の本当の姿についてほんの少しわかる気がします。モーセはわたしが「おまえはだれだ。見よ,わたしは神の娘だ」(モーセ1:13参照)とサタンに立ち向かうように励まします。たいてい自分が間違いをおかしたり,または生きていてとても不幸せに感じるときはわたしが基本のしかも深淵な原則を忘れたときのように思います。
わたしたちが父なる神の子供であることを知っています。モーセのようにわたしたちはこの人生でなすべき仕事があります。わたしたちがサタンに遭遇して,誘惑をうけたり,自分の徳や神から授かった品性を失うかもしれないとき,わたしたちは自分が本当は何者であるかを思い出す必要があります。モーセの模範に感謝しています。彼は試しにあいましたが,それをはねのけたのです!そして彼は報われました!わたしは彼の模範にならいたいと思います。