古代アメリカの人々はキリストが亡くなった時が分かったか?
モルモン書は聖書と対をなす聖典ですが、古代アメリカの人々がイエス・キリストが生まれた時も、亡くなった時も知っていたという驚くべき事実を明らかにしています。このことは末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の教義の根本的な部分です。しかし、本当にもし私たちがそれを知っていたら、この知らせはそれ程驚くべきものではなかったかもしれません。まず、神はどのようなことでもなさることを知っているからです。2番目に、私たちはイエス・キリストがこの世で生きていらっしゃった間に教えられたわずかな人々だけの救い主ではないということです。主は全世界の救い主であられ、神が他の地域の人々に救い主が来られたことを知らせただろうと考えるのは理にかなっています。私たちは、そのようなすべてのケースについての記録が残ってないかもしれませんが、確かに神が遥か遠くに居る人々にも愛をもってこのことを告げていただろうと信じています。
主が御告げになった1つの民はアメリカ大陸に住んでいました。この特別な民は、この大陸における唯一の民ではありませんでした。モルモン書には、神が、時々違う民族をアメリカ大陸に導かれたことが教えられています。この大陸は神によって祝福され神聖な地として保存されていました。しかし、モルモン書に書かれているのはこの大陸に住んでいた人々の中の小さな一部に過ぎません。
アメリカ大陸のどの人々がイエスの死について知っていたか?
ここではモルモン書の中のもっとも感動的な部分の一つについて注目します。この書物の民がアメリカに来たのは、エルサレム出身のリーハイという名の族長であり預言者が、自分の教えていた預言のために、人々が彼を殺そうとしたので、逃げて来ました。神はリーハイの家族をアメリカ大陸に導かれました。彼の4人の実の息子のうち、2人は正しい人たちで、二人は邪悪でした。やがて、これらの人たちは、自分たちに従う者たちとともに2つの民に分かれました。
預言者たちは、何世紀にもわたって、両方の民に預言し続けました。預言者の教えの一つはイエス・キリストが地上に来られるということでした。人々は主の誕生と死のしるしについて知らされていました。
救い主の誕生のしるしは快いものでした。暗さのない夜がやってくるというものでした。空には新しい星が現れるとも言われていました。
アメリカにおけるイエスの十字架上での死のしるし
キリストが十字架にかけられるしるしはそれ程快いものではありませんでした。実際、それらはかなり恐ろしいものでした。そのしるしを知っている人々は救い主の誕生から33年が経つと、注意を払っていて、主の預言されたしるしを観察しようとしていました。その成就はひどい嵐で始まり、それは彼らがそれまでに見たこともないほどひどいものでした。雷はひどい音を立てて、あたかも地が裂けるのではないかと恐れました。
稲妻によってゼラヘムラの市が火事になりました。他の市は海の中に沈み、そこの住民は溺れました。一つの市は突然隆起して、山になりました。多くの地域で地形が変わり、破壊はすさまじいものでした。
もっと長かったと主張する人もたくさんいましたが、これらすべての破壊はたった3時間ほどでした。しかし、まさに恐れ戦かせるような3時間でした。それから静まり、闇がやって来ました。他には見られないような闇でした。だれも光をつけることが出来ませんでした。ろうそくもたき火も、いかなる手段をもってしてもその闇を払い除けることが出来ませんでした。星も月も見えませんでした。それよりももっと恐ろしい現実は、朝がやって来ないように思われたことです。3日間全くの暗闇でした。人々は泣きわめき、前に悔い改めておけば良かったと願いました。もう手遅れだと思ったからです。多くの人々が亡くなった理由が、彼らがどんどん悪くなっていたからで、邪悪が人々の間で広まっていたことが分かっていました。その暗闇はイエス・キリストの死を象徴していました。主の死によって、この世から世の光が失われたからです。
まとめ
記事のタイトル:古代アメリカの人々はキリストが亡くなった時が何故分かったか?
著者:テリー・リン・ビットナー
要旨:モルモン書は古代アメリカの民が、イエスが亡くなった時を知っていたことを証言しています。