ベニヤミン王は、モルモン書の中の私の大好きな登場人物の一人です。最近、私はベニヤミン王のことを習いました。彼はニーファイ人の王として退任する最後の話を民にしました。(ベニヤミン王は専従の王ではなく、自分の手で働いて、王の責任は無給の奉仕として勤めていました)
ベニヤミン王の説教
モルモン書のモーサヤ4章に、主イエス・キリストの贖罪についてのベニヤミン王の教えが詳しく記されています。ベニヤミン王はイエス・キリストの贖罪がどのように私たちの永遠の人生だけでなく、この地上での死すべき人生の行動に対して影響を与えるかの洞察を与えています。もし私たちが贖罪を完全に理解すると、贖罪は私たちの行動を変えるものとなります。このことは、その前の書であるエノス書でも触れられています。エノスは、罪の赦しを受けた後、彼はすべての人が自分と同じ喜びを味わってほしいと思うようになりました。敵のことでさえもそう思いました。
ベニヤミン王が話したとき、民はイエス・キリストの贖罪の必要性を理解し始め、憐れみと赦しを求めて祈りました。王は民が罪を悔い改め、イエス・キリストの贖罪の役割を受け入れことで、心に平安がもたらされたことを知りました。贖いは困難な時でさえも、平安と喜びを与えてくれると話しました。
モルモン教は、救いはイエス・キリストの贖罪を通してのみもたらされると信じています。ある人々はモルモン教について間違って、良い行いを通してのみ救いがもたらされるといっていますが、そうではありません。
ベニヤミン王は民に次のように言っています:
「わたしは言うが、その人は、アダムの堕落以来この世に住んだ、あるいは現在住んでいる、あるいは世の終わりまでに住む全人類のために、世の初めから備えられた贖罪によって救いを受ける人である。これが救いが与えられる方法である。これまで語ってきたこのことのほかにどのような救いもなく、わたしがあなたがたに述べてきた条件のほかに人が救われる条件はない。」(モーサヤ4:7-8)
モルモン教の指導者であったジェームズ・E・ファウスト長老はこう言いました:
「贖いについてできるかぎり学びたいというわたしの思いは、幾分利己的です。わたしたちの救いは、贖いを信じ、贖いを受け入れることにかかっています(モーサヤ4:6-7参照)。贖いを受け入れると、贖罪をより完全に理解するための継続的な努力が必要になるからです。贖いによってわたしたちは完全になることができ、それによりわたしたちは現世で成長し、その目的を果たすことができます(モロナイ10:32)。わたしたちは皆罪を犯しているため、悔い改めてわたしたちが払える負債を完全に支払う必要があります。真心から悔い改めたとき、救い主の偉大な贖いにより、残りの負債が支払われるのです。(2ニーファイ25:23)。」(2001年10月総大会)
モーサヤ書4章11節で、ベニヤミン王は聴衆に自分たちでは自分を救うことができないと思い起こさせています。王は、民に自分たちは取るに足りないものであると言っています。そして、真のクリスチャンは一旦イエス・キリストを救い主として受け入れると、どのように行動が変わり始めるかを説明しています。
12節で、ベニヤミン王は民に贖罪を尊び、神を愛するならば、彼らの生活全体が変化すると約束しています。彼らはもはや他人を傷つけることを全く望まないようになります。平和に暮らし、人々に分かち合うべき分を分かち合いたいと思うようになります。助けの要る人々の世話をしたいという気持ちになると言っています。彼らは、決して物乞いに背を向けたりしません。しかし、もし分け与えるものが何もないならば、神は私たちに分け与えることを期待してはおられません。分けるものがあれば与えるであろうという思いでいてほしいと王は言いました。
贖罪を完全に理解して心に植え付けると、より良い親となる助けともなります。親は子供が苦しんだり、喧嘩したりしないようにします。子供たちが神の戒めを守り、互いに愛し合うように教えます。もちろんこれを行うには、自分たちもそのように生活しなければなりません。贖罪がそうできるよう助けてくれます。
全ての人は神に依存している
問題を抱えてやってきた人にも背を向けたりしません。なぜ、背を向ける必要があるでしょうか?
「見よ、わたしたちは皆、物乞いではないだろうか。わたしたちは皆、持っているすべてのものについて、すなわち食物も衣服も、金も銀も、そのほか持っているあらゆる富について、同一の御方、すなわち神に依存してはいないだろうか。そして見よ、今でさえあなたがたは神の御名を呼び、罪の赦しを請い願っている。神はあなたがたが請い願うのに応じないで、聞き流してこられただろうか。いや、神はあなたがたに御霊を注ぎ、あなたがたの心を喜びで満たし、あなたがたが語る言葉を見いだせないで口をつぐむほどにされた。それほどあなたがたの喜びが非常に大きかったのである。
さて、もしあなたがたを造られた神、あなたがたが自分の命についても自分の持ち物と能力のすべてについても頼っている神が、あなたがたが必ず与えられると信じて、信仰をもって求める正当なものを、何でもすべて与えてくださるとすれば、ましてあなたがたは、自分たちの持っているものを互いに分かち合って当然ではないだろうか」(19-21節)
ベニヤミン王は、私たちは完全に自分たちの持っているすべての物について神に借りがあると言っています。私たちは物乞いで無力であり、取るに足らない人間であると説明しています。全ての人は、神に試練から助け出してくださるように請い求めるので、私たちも人々に同じようにしなければなりません。
もし、世の中がこのモーサヤ4章の教えに従い、贖罪を完全に心で理解して、それを生活のあらゆる場面で応用するならば、世の中の大部分の問題は解決できるに違いないと思います。モルモン書全体を通して、皆さんは人々がこれを行った時と、行わなかった時の結果を知ることができます。
この記事はテリー・リン・ビットナーによって書かれました。