パストー・リック・ウォーレンによるベスト・セラー本、「目的に導かれた人生」を読んだことはありません。わたしの読書リストに挙がったこともありません。それはたぶん目的に導かれた人生を生きるのに忙し過ぎて、読む必要を感じないからだと思います。わたしの人生は目的ではち切れそうです。モルモン教と呼ばれる、末日聖徒イエス・キリスト教会のバプテスマを受けてからずっとそうです。

 

教会との出会い

教会を見つけた時わたしは渇望していました。むなしさを感じていて、それが満たされることを切望し友人や隣人と一緒に様々な教会に参加していました。一つをのぞいてすべてのところで楽しく過ごしました。しかしイエス・キリスト教会の集会所の入り口を入った時、それまで経験をしたことのない驚くべき霊的な経験をしました。それは、わたしが求めていたものを見つけたという証拠でした。

建物は特別ではありませんでした。霊的な真実を探し求める過程で多くのきらびやかな建築物を訪れました。ですから、わたしを感動させたのは高くそびえる城壁でも、この世のものとは思えない音楽でもないのは確かです。それは喜びでした。そこにいた教会員がわたしと分かち合いたかったとしたら、それはあふれ出る喜びと福音への感謝の気持ちがさせたのです。これはごまかしではないと保証します。彼らは地上で最も愛ある、楽しい、感謝している人々です。

 

救いの計画

わたしが宣教師から受けた最初のレッスンは救いの計画についてでした。わたしは若い年ですでに、自分自身に「これがすべて?」と尋ねるところに来ていました。何かが自分の内側で、「いいえ、違う。もっともっとたくさんあるはず。」と言い続けていました。でも何が?宣教師は、わたしが地上の両親の元に生まれる前に存在していたこと、天父の霊の子供として計り知れない長い年月生きていたと説明してくれました。わたしの心、気持ち、霊は、この啓示的情報により無限に広がるように思われました。それはすべてを変えました。この短い現世の後永遠に生きること、神の御前で実際に住むことができ、キリストとともに受け継ぐものとなれることも学びました。

もしこれが目的を作り出さなかったら、何が作り出すかわかりません。モルモン教の会員たちは、救い主が福千年を統治するために来るのに備えて、地上に神の王国を築き上げることに熱心に携わっています。この尽力の中心となるものは、家族です。ああ、家族。モルモン教の宣教師と会った時、わたしは家庭でとても傷ついていました。両親は何年もの間離婚の危機で、母親は精神的に病気だったことは確かです。それはとても不幸な場所でした。わたしは宣教師に会い始めるとすぐに、6ヶ月ごとにテレビでモルモン教の総大会を見始めました。その当時、モルモン・タバナクル合唱団はすべてのセッションで「愛ある家庭」を歌っていたように思います。わたしの望みは2つに凝縮されました。末日聖徒に数えられたいという望みと、幸せな家族が欲しいという望みに。

これら両方の目標は、目的で満ちています。64,000人を超す宣教師の力とともに、会員は教会の上から下まですべてのポジションで奉仕し、モルモン教は常に良いことを行うのに忙しいです。福音の教義を教えることにわたしは向いている気がします。これらの召しを果たすのに、聖典と教会歴史を学ばなければなりません。それぞれの召しは、わたしの能力と思いやりを増しました。それらを通して、聖霊からの促しやひらめきを見わけることを学びました。これらの個人的な啓示はわたしが仕える助けとなっただけでなく、わたしたちの幸せな家族(夫と6人の子どもとわたし)を、可能だと想像もできなかった多くの冒険において導きました。

 

永遠の結婚がもたらす祝福

わたしはこの手紙を、わたしたちが住んだ5つの国の一つであり、訪問した30の国の一つである東アジアで書いています。わたしたちはちょうど、末日聖徒イエス・キリスト教会の「福祉宣教師」の召しを終えるところです。わたしたちは教会の小さな支部の指導者として奉仕しています。そこでは、一般信徒が指導や教職の召しを果たすために訓練を受ける必要があります。わたしたちは、しっかりしていなかった霊たちが開花するのを見てきました。とても胸躍る経験です。

わたしと夫は、モルモン教の神殿で、この世と永遠に渡って結婚しました。永遠の聖約とは、結婚に対して現代の多くのカップルがするのとは違う扱いをすることを意味します。天父がわたしたちにとって正しいと思う人程、「心の友」を探しているのではありません。正しい人とは、御父の御許に戻る道のりを助けてくれる人と言う意味です。これはいわば、一致です。わたしたちは今でも、「心の友」になろうと努力しています。愛する人、親友、相談相手、腹心、仕事仲間、両親、祖父母、完全に理解しあった同僚。永遠の聖約ということは、問題があったらすぐに逃げ出すのではなく、離れないと言うことです。夫とわたしは、とても異なります。

日曜学校の教師が、結婚をくびきでつながれた対と言い表しました。自分と全く同じような人とつながれたとしたらいかに意味がないかと考えた時、恐ろしくなりました。考えることはたくさんできるでしょうが、決して何処にも行きつかないでしょう。夫がわたしのようではないことにとても感謝しています。

わたしたちは、イエス・キリストの福音に沿って子供たちを育てました。最も高い水準の道徳と謙遜であること、感謝すること、奉仕を中心にすること、(そして自立、モルモン教ですから!)を教えました。中毒や悪い習慣に悩まされる事がなく、たくさんの楽しいことがありました。わたしたちを妨げるものは、それらのことなしに、私たちの失敗だけで十分です。自分の才能を育て、仕事を楽しむ機会がありました。しかし最も重要なのは、わたしの最大の願いがかなったことです。聖徒に数えられ、幸せな家族を持っています。すべてはイエス・キリストの福音のおかげです。キリストはわたしを優しく一歩一歩導いてくれました。彼はわたしを見つけました。彼は対価を払ってわたしを買いとりました。彼をとても愛しています。