天の父がその子供たちの祈りにいつでも答えられることについての知識と理解があるので常に大きな慰めと安らぎを感じています。今週エテルの2章を勉強しながら、私たちのすべての祈りは次の3つのうちの1つの方法で答えられることを学びました。すなわち、選択の自由、心配するなというメッセージ、事細かな指示の3つのパターンです。エテル2:19−20ではこれらの祈りの答えについて教えてくれます。
エテル2:19−20には、「『まことに、おお、主よ、船の中には光がありません。わたしたちはどこへ向かえばよいのでしょうか。また、わたしたちは死んでしまうことでしょう。船の中にある空気だけでは呼吸ができなくなるからです。それゆえ、わたしたちは死んでしまうでしょう。』すると、主はヤレドの兄弟に言われた。『見よ、屋根と船底に一つずつ穴を作りなさい。そして、空気で苦しむようになったら、その穴の栓を抜いて空気を入れなさい。もし水が入って来るようであれば、水があふれて死ぬことのないように、見よ、その穴をふさぎなさい。』」と記されています。ヤレドの兄弟が主に息ができなくなる問題について祈った時、主は一歩一歩進んでいく方法を具体的に与えられました。主は、ヤレドの兄弟に必要やステップを与えて問題を解決しました。私たちの人生には、天の父に自分の直面しているある問題や試練について祈る時、具体的な、段階をおった細かい指示を受ける時があります。このような答えの与え方について深く考えていると、教会の預言者について考えないわけにはいきません。天の父は教会を運営するために、預言者に具体的な、段階をおった指示を与えて来られ、神殿の建設などを進めて来られました。しかし、私はこの方法が最も一般的な答えの与えられ方だとは思いません。
ヤレドの兄弟はまた船の舵取りをどのようにしたらよいのか見当もつきませんでした。天の父の答えは、単純で、心配しないようにということでした。私が思うのは、祈りに対してこのような答えを受けるのは極めて難しい状態になるでしょう。これは本当に私たちの信仰が試され、テストされることです。私たちが祈るのは特別な答えを受けるためです。私にとっては、天の父が私に心配しないようにとおっしゃる時には、自分が主に信仰をもっているかを本当に試されていると思います。それで、問題についてくよくよしないようにして、忘れるようにすることは最も難しいことです。
教会の会員にとって、私たちの祈りに対する天の父の答えとしては3番目のタイプが最も一般的だと思います。ヤレドの兄弟が光を得るためにどうしたらよいかと尋ねた時、主は彼に選択の自由を使うように促されました。天の父が私たちに選択の自由を使うようにさせる時には、私たちは自分で快く思っている状態を越えて、背伸びしなければなりません。自分の能力を増してより大きな目的を達成しなければなりません。教会の会員がこのタイプの答えをかなり頻繁に受ける理由は天の父が私たちの成長を望まれ、私たちが正しく、よりよい選択をすることを信頼しているからだと思います。多くの場合、天の父は私たちが自分の選択をするようにされ、それから、私たちの選択に関わらず、正義の原則に沿って私たちを導いて下さいます。明らかに間違った選択をする時には、あるいは自分たちには適切でない選択をした時には、主は私たちを最適な答えや選択の方に導くことがおできになります。
私は天の父がいつでも私たちの祈りに答えて下さることを知っています。私たちの都合の良い時間枠に従って与えられないかもしれませんが、また、自分たちが望んでいるような形での答えではないかもしれません。しかし、神はいつも答えて下さり、どのような答えを受ける場合にも信仰をもってそれに望むべきです。
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