編集者の一言:「前半編」ではモルモンがクリスチャンである2つの理由が紹介されました。今回は残りの3つの理由をお伝えします。
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モルモン書もはっきりと聖書の信頼性を支持している
モルモン書の起源についてどのように感じていようと,あるいはその書物が生み出される過程でジョセフ・スミスの果たした役割についてどう感じていようと,一つの否定できないことは,その書物の内容は聖書のイエス・キリストの神性に対する証が真実であることに焦点を当てています。
モルモン教徒以外の多くの読者にとってそれに気づくと驚くかもしれません。そのことがモルモン書の中の一人の預言者のことばによると,「見よ,この記録[モルモン書]を書き記しているのは,ユダヤ人から伝わる記録[聖書]をあなたがたがに信じさせるためである。」(モルモン7:9)
モルモン書は聖書に出てくる人物たち,例えばアダムとエバ、アブラハムとサラ,モーセ,エレミヤ,マリヤ,バプテスマのヨハネ,そしてとりわけイエス・キリストについて現実の人々であったと証する第2の書物です。モルモン書はイエス・キリストを「神御自身」と呼び,その奇跡的な働き,贖いの死,栄光ある復活について確認しています。(たまたま,といっても関連がないわけではないですが,ピューの結果によるとモルモンの96%と福音派の88%が「奇跡が古代と同じように現在もまだ起こる」と信じています。)
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ジョセフ・スミスの神学確立の試みは,その核心に聖書を据えている
再び,驚くべきことに:モルモンの創立者である預言者の最も本質的な神学上の「革新」は,一つにジョセフ・スミスの複数に分かれた天の段階と亡くなった先祖のために神殿で行われる代理の宗教的な儀式に対する根拠は,全く聖書に基づいています。
「3つの栄光の段階についての示現」はモルモンの現代の聖典である教義と聖約76に書かれていますが,モルモンはジョセフ・スミスに主が説明なさった死後の生活についての示現は,聖書の数々の聖句をつなぎ合わせたものです(ヨハネ5:29,1コリント3:22−23,15:40−42,2コリント12:2−4,テサロニケ4:16−17,ヘブル12:22−24,黙示録22:15など)。ジョセフ・スミスはこの神の顕現、聖書の真理を確証し,解き明かし,ないしはそれを発展するものとして挙げています。
同じことがモルモンの神殿での身代りの業についてもいわれています。死者のためのバプテスマですが,それは1コリント15:29に触れられています。ジョセフ・スミスはこれらの儀式が,イエスの地と天で結び固めを行なう鍵を与えることとの関係で説明しています(マタイ16:16−19)し,ペテロの語ったことで,肉体を離れたイエスが亡くなった人たちに教えを説かれたこと(1ペテロ3:18−20および4:6),エライジャが子供たちの心を先祖の心に向けると預言されたこととも関連づけています(マラキ4:5−6)。
その点を説明するたとえがあります。聖書学者のロジャー・オルソンとクリストファー・ホールは聖書には「三位一体」という言葉やその教義に直接言及しているところがないが,教会初期の信者は聖書のあちこちに「開花すべき種」があり,それが天の加護のうちに養われその教義になるところを見出したと述べています。
同じように,モルモン教はジョセフ・スミスが聖書の「開花すべき種」を見出し,啓示によって養われ,それがモルモンの教義になったと言えます。聖書に根ざしているという点が両者にとって鍵になります。
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モルモンはイエス・キリストの神性についての聖書の証を大事にする
BYUの退官された教授のスティーブン・ロビンソンは次のように書いています。「福音派の人たちはしばしばそれを拒否しますが,末日聖徒は神とキリストの属性についてのすべての聖書の教えを受け入れます。しかし,それはあくまで,聖書に直接書かれている内容であって,後になって付け加えられた教条の内容を除きます。」
ピューの調査では,モルモンの98%はイエスの復活を信じています。
モルモン教の根本的で,組織された文書で,教義と聖約第20章には次のように書いてあります。「全能の神はご自分の独り子を与えられた。それは,与えられている聖文に,独り子について書き記されているとおりである。」「独り子は十字架につけられ,死んで、三日目によみがえり」「わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みよる聖めは,神を愛し,勢力と思いと力をつくして神に仕えるすべての人にとって,正しく,かつ真実である。」
理由のある不一致
モルモンとほかのクリスチャンは神学上の違いについて次のようにアプローチするとよいでしょう。先ず違いについてそれぞれの立場から明らかにすることです。それから,「わたしはこの点についてあなたの信条に同意しませんが,あなたの立場が聖書の出発点の一つの合理的な解釈であると認めます。」
「聖書に基づくクリスチャン」あるいは「聖書を信じるクリスチャン」という概念をモルモンと福音派の両方(もちろん他の人たちも!)に使うことによって,このように開かれた関係を作るために大いに前進できます。
このように両者が認めることで,共通の基盤を強調し,「クリスチャン」のラベルを貼ることについての言い争いを強調することはなくなります。それから,本当の違いを理解する作業が,不正確な推測に関わることなく,始まります。
こうすることで,宗教上の言語の進化が起こることが期待でき,それによって対話の障壁を崩し,それを助長することを避けられます。