誰にでも一度は「何かに火をつけて燃やしてやりたい」と思ってしまうような日がありますよね。一日の終わりにお祈りをするとき、伝えるべきことは主への感謝であるはずなのに、心の中は文句を言いたい気持ちでいっぱいの時があります。

わたしたちは教会などで、感謝をテーマにしたお話などから、感謝をしなければいけないという自覚はあります。しかしながら、わたしたちは神に今日がどんなに大変な一日だったかの文句を言いたくなる時があるのが現状です。それは間違っているのでしょうか?もちろん、福音の中には不平不満を言わないようにしましょうという内容の聖句がたくさんあります。でもそれはどういう意味を持つのでしょうか。心理学者の中には心の中にある苦痛を取り除く為に気持ちを発散させる必要があると言っている学者達もいます。

幸いに、レーマンとレムエル、そしてニーファイを通して答えを見つけることができます。

不満を言う

先ず、不満を言うことについて話しましょう。不満を言うということは苦痛や痛みを表現する、又は誰かに(何かに)訴える(告発する)という意味があります。例えば、ドーナツ屋さんで頼んだドーナツが思ったよりも小さかったり、運転中に誰かに急に割り込まれたりするときなどです。そんな時、ついその人たちに叫び、不満を言いたくなってしまいます。

それでは不満を言うという行為は何がそんなに問題なのでしょうか。

不満を言うという行為は、実は脳にとって悪い影響を与えているのです。ある科学者たちは不満を言うことで脳の海馬が縮むと主張しています。海馬は問題解決を司る部分でもあります。それは大変なことです。海馬が小さくなるということは、わたしたちはもっと問題解決に苦難するということです。結果的に、不満を言えば言うほど負の連鎖に陥るということになります。

これはレーマンとレムエルの人生に当てはまります。モルモン書の最初の部分ではニーファイ、レーマン、レムエルのことを完全にはわかりませんが、彼らは皆ひとつの仕事を与えられていました。その役割はエルサレムに帰って真鍮の版をラバンから奪うことです。レーマンとレムエルはすぐにそれが「難しい仕事」(第1ニーファイ3:5)だと判断しました。彼らは父のせいにし、その与えられた仕事をしたくないと思いました。

ニーファイはどうにかエルサレムに戻り、その真鍮の版を取り返そうとしました。彼らは二度の試みに失敗し、レーマンは批判し始めました。彼はその失敗を父リーハイ、ニーファイ、そして神のせいにしました。(第1ニーファイ3:28)これはいつも不満を言う人に当てはまる例です。不満を言う人は通常、責任を取ろうとはしません。これらの性質は後にレーマンが更に暴力的になり、更には彼の弟を撃退し、父親を殺そうとすることを助けることになります。

(感情などを)発散させる

それでは発散させることはどのような結果をもたらすのでしょうか。よくこのことについてのメンタルヘルスへの利益と欠点について耳にすることがあります。ある研究者はこう述べています。文句を言うことと違い、発散させることはストレスからの解放や再生(立ち直ること)と関わりがあります。これは、(心の中にある不満や悩みを全て吐き出し、)必要なことに集中することができるようにする為のテクニックです。以下で説明します。

わたしたちが怒りを感じる時、その問題から抜け出せなくなってしまいます。これはわたしたちの感情は問題が起きるとそのことに縛られてしまい、客観的に物事を考えられなくしてしまうためです。わたしたちが感情を発散させるとき、その感情的な気持ちを取り除くことで、その問題をもっと良い角度から見ることができるように一歩遠ざけてくれます。

又、発散させることで他の人達と関わりを持ち、彼らに悩みを相談する機会をもつことができます。これは解決方法を見つけるのを助けるために発達した対処メカニズムであり、積み重なった強い感情からの解放、そして必要な助けを求めるためのものです。

ここで理解しなければならないのは、発散させることの不利益は、時に発散させることが不満を言うことに変わり、それによって無駄な時間を過ごしてしまうことになりかねないということです。ここで大切なことは、いつも問題を解決する方法を探すということです。解決方法を探すことで、ニーファイのように不満を言うことを避けることができます。

第2ニーファイ4章(又はニーファイの詩編)に、もしニーファイが問題解決をしなければ、不満を言うことにつながっていただろうと思われる聖句があります。

ニーファイは自らの罪に気付き、声を上げました。「おお、わたしはなんて哀れな人間だ!」(第二ニーファイ4:28)しかし彼はそこで諦めませんでした。彼は神への信仰と、御父が全てのことをお解りであるということを再確認しました。ニーファイは彼の不完全であるという悩みを吐き出すことに目を向けるのではなく、主の愛と力に目を向けるようになります。

どうするべきか

わたしたちの中には常に文句を言うことに対して疑問を持っている人もいるでしょう。不満を言うことと発散することの両方の特質を理解し、区別することは役に立ちます。では不満を避けるためには何ができるでしょうか。海馬の収縮を止めるための解決方法は簡単です。それはニーファイの模範に従うことです。彼は主に集中し、問題解決方を探しました。それが彼の行った前向きな感情を吐き出すことに役立ったのです。

祈りに関しても、不満をいうことを発散することに変えることができます。天父はわたしたちに彼に頼って欲しいと思っていらっしゃいます。わたしたちが気持ちをそそぎだし、解決方を見つけ、主の力を頼るとき、主ともっと良い関係を築くことができ、彼の愛を感じることができます。もしわたしたちが文句を言うならば、わたしたちが得るものは小さくなっていく海馬だけになってしまいます。

この記事はもともとJustin Lewis によって書かれ、mormonhub.comに投稿されました。