ブリガム・ヤング大学アイダホ校で学んでいる娘が、伝道に出る前にわたしに本を一冊プレゼントしてくれました。この本はわたしの考え方を変えました。この本には健康の問題があって、一度幕の向こう側(霊界)に行き、しばらくそこで過ごした後で戻って来たという著者の経験談が書かれています。著者によると霊界にいた時に学んだ原則が、互いに仕え合うことの大切さ、奉仕の精神だというのです。それは自分たちの住む地域での奉仕活動だけでなく、自分たちの家族に対する親切や善い行いも当てはまります。

ささやかな親切

わたしは長い時間をかけて、神がほかの人たちを通して自分に対する御業を行われるということを学びました。わたしたちは生涯を通して互いに天使として助け合っているのです。物事がうまくいかない時、あるいは試練に遭う時に家族の中のだれか、または近しい友人が助けてくれます。

ほかの人に仕えるとは、一日がかりの活動である必要はありません。ドアを開けるのを手伝ったり、微笑んだり、(とりわけ試練の中にある人に)耳を傾けたり、失望している人に「あなたのことを考えています。」というカードを書いたりすることです。隣家の芝を刈ったり、バスで席を譲ったり、近所一帯のゴミを拾ったりしましょう。時間のかかる奉仕、例えば職場にクッキーなどを焼いて持って行ったり、ホームレスの人に滞在する場所を提供したりすることだけでなく、数多くのシンプルな奉仕をすることができます。

家族で行う奉仕

家族で奉仕をすることは、一緒に成長するのを助けてくれます。去年わたしたちの団のスカウトの1人が、10億人分のお墓を助けるというイーグルスカウトのプロジェクトを企画しました。それはデータベースに、新たに4つの墓地のデータを入力するというものでした。朝早く始め、写真を撮り、それをウェブサイトに載せました。何と楽しい経験だったことでしょう。わたしの家族全員が協力して写真を撮っただけでなく、墓地をきれいにして誰の墓であるのかがはっきり分かるようにしました。

家族が困難な状況で互いに助け合うように、あるいは日常生活のあらゆる場面でそうするように、わたしたちは家族が奉仕する機会を与えます。人生は奉仕で始まり、奉仕で終わります。スペンサー・W・キンボール大管長(モルモン教の第12代大管長)は,次のように語っています。

「他人に対する奉仕は、わたしたちがよりよい世界に住むための準備をしているときに、この世での生活を深め、より好ましいものにしてくれます。実際に奉仕することを通して、奉仕の仕方を学びます。わたしたちが同胞のために奉仕しているとき、わたしたちの行ないによって人々を助けるだけでなく、自分の問題を新鮮な目で見られるようになります。」

単純な親切な行為やほかの人に対する奉仕が、人生がスムーズに進むように助け、互いに高め合うことができます。それは特に試練の時に顕著に現れます。

教会の一つの歌がこの点を思い出させてくれます。

「今日われ善きことせしか 人を助けしか 悲しきをも慰めしか かくせずば悪し 人の重荷軽くして わが手貸したるか 病みて疲れし者助け そこにわれおりしか 天の夢より覚め 善きこと行なえ 計り知れざる喜びあり 愛と義務の恵み」
(末日聖徒イエス・キリスト教会の賛美歌集137番 「今日、われ善きことせしか」)

奉仕は愛と義務の祝福です。その愛はあなたが思う以上にほかの人々に広がり、やがて自分たちに戻ってきます。これは人類愛なのです。

 

この記事はValerie Stimleによって書かれ、ldsblogs.comに投稿されたものです。