「LGBTQ+」「LGBTQIA+」とは

「LGBTQとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(同性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性が一致していない)に加えて、自分の性がわからないという『クエスチョニング』と性的少数者を表す『クィア』のQを加えた性的マイノリティ全般を表す言葉です。」

LGBTQ+のそれぞれのアルファベットが表す意味とは

しかし、これらはいずれも男性、または女性に当てはまる言葉であり、「自分は男性でも女性でもない」という人や、「男性も女性もどちらも愛せない」という性的マイノリティの人たちも存在します。

そこで誕生した言葉が「LGBTQIA+」です。LGBTQに加え、I(インターセックス)「男性、女性どちらとも断言できない人」、A(アセクシュアル)「誰に対しても恋愛感情や性的欲求を抱かない人」を表すLGBTQIA +という言葉ができました。

LGBTQIA+のIとAの意味

わたしは、ネットフリックスの「クィア・アイ」という番組が大好きで、新しいシーズンが出るとすぐに一気にみてしまうほどです。

「ファブ5」というLGBTQのグループが、美容、インテリアデザイン、ファッション、料理、カルチャーそれぞれの分野のプロとして、悩みを抱える人の元を訪れて内面も外面も大変身させるという番組です。

彼らが親身になって悩みを聴く姿や、彼ら自身が苦しんだ経験からの優しい言葉などから、学ぶことがたくさんあります

同性愛に関しての神の教義

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、「男女の間の結婚は神によって定められたものであり、神の子供たちと社会の福利のために主の計画の中心を成すもの」であると信じています。

愛にあふれた父親や母親に導かれる堅固な家族は子供を養い、信仰を植え付け、現代社会や永遠の救いにとってきわめて重要な道徳的強さと価値観を未来の世代に伝える基本的な制度です。

世の中の法律が変わっても、神が定められた道徳の律法は決して変えることはできません。反対の考え方や世の風潮とは関係なく、神はわたしたちが主の戒めを支持し、守ることを期待しておられます。神の純潔の律法は明らかです。性的な関係は、法律と律法に基づいて結婚した夫婦である男女の間においてのみ用いるべきです。」

家族世界への宣言より

しかし、この教義に従うかどうかは、その人と神様の間のことであり、それに従わない人たちを批判したり、ジャッジすることはキリストの方法ではありません。

御父は、全ての人を分け隔てなく愛しなさいと教えられました。このような状況下にあっても、信仰を持ち続け努力している人もいます。

デヴィッド・アーチュレッタの経験

自身が性的マイノリティであることを明かした末日聖徒イエス・キリスト教会の会員
デヴィッド・アーチュレッタ

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であるデヴィッド・アーチュレッタは、昨年、自分がLGBTQIA+(性的マイノリティ)の一員であることを明かしました。カミングアウトすることは簡単ではありませんでした。しかし、自分と同じ状況にある人たちに「あなたは一人ではない」ということを伝えたかったと話しました。また、彼はこのように話しました。

LGBTQIA+の一員として、神様や神様の計画を信じることは可能です。わたしは20年以上も必死で自分を変えようとしてきました。でもある時、神様は目的があってわたしをこのような状態にお創りになったのだと分かりました。自分には欠陥としか思えないことも、ただひたすら憎むのでなくて、神様がありのままの自分を愛して下さっていることに目を向けるべきだと気づきました。

デヴィッド・アーチュレッタ

まとめ

わたしには、LGBTQIA+の親戚が何人かいます。それぞれ、同性のパートナーと生活をしています。わたしは彼らの選択を賞賛することはしませんが、彼らを心から愛しています。その人自身とその人の選択は別だと思うからです。わたしにとって、その人がどんな選択をしようとも、その人の価値が変わることはありません

心の中でこうあるべき、こうありたいと思っていることと感情が一致しないこと。変えられない現実と向き合うことは簡単ではないと思います。考え方や信仰が違っていても、寄り添い、その苦しみに対する理解を示すことで、少しでも彼らが神様の愛を感じることができるような手助けができたら良いなと思っています。