10代向けの雑誌を何時間もむさぼり読んでいた12才のころのわたしは、間違いなくこう言っていたでしょう。「うわさ話って楽しい!」と。

「AKB48のOOが着てたあの服見た?」「ユースケ・サンタマリアが離婚してたって聞いた?」こういった芸能ニュースの内情や最新情報に通じていることが、大好きでした。 わたしは、芸能人の「ベスト・ドレッサー賞」などに熱中し、定期刊行される週刊誌をよくネットで見ていました。

正直に言いましょう。ポップ・カルチャーは、わたしの弱点です。今でも、芸能関係のうわさ話が好きです。恐らくわたしは、せん索好きなんだと思います。しかし幸いなことに、うわさ話は人を傷つける行為であり、そのような行為の反対側には、常に誰か「人」(手の届かない所にいると思える有名人も含まれます)が存在することを、早い段階から学びました。

 

うわさ話の範囲とは?

ウィキペディアの「うわさ話」の定義には、「うわさ話とは、特に他人の個人的または私的な問題について、無駄話やうわさをすること。その行為は、『酷評する』または『陰口をたたく』ことも含まれる」とあります。

ヨガ・ジャーナルは、さらに「仏教やその他の習わしが定義するように、有害な会話は人を不必要に、無意味に傷つけるものである」と説明しています。

以上のことから、ポジティブで有益な方法で誰かについて話すこと(例:「この先生のこと好き?どんな先生なの?」や「今度紹介してくれる彼についてもっと教えて。」)と、誰かについて中傷したりうわさ話をすることには、大きな違いがあることは明らかです。そしてわたしたちは、後者を避けるべきです。

 

受ける側になる

わたしは、うわさ話は人を傷つけるものであるということに気づいた経験があります。幼稚園の時に、おそらく初めて、一番傷ついた経験をしました。6才だったのであまり覚えていないのですが、わたしの祖母が、わたしが泣きじゃくりながら幼稚園から家に帰って来た時の話をしてくれました。わたしのふっくらした頬は、涙でぬれていたそうです。

「えりかちゃんがね、帰りのバスで、わたしのママとパパが離婚するって言ってたの。そんなのうそだよね?」

それを聞いて、祖母は胸が傷んだそうです。それは本当だったからです。わたしの両親は、まだわたしたち子供に離婚について話していませんでした

まるで伝言ゲームのように、わたしの両親に近い誰かが、別の誰かに話し、その誰かがまた別の人に話し、その子供たちが離婚について聞いたのでしょう。そのため、わたしの両親は、彼らのタイミングと方法で、わたしたちに離婚することを伝えられなかったのです。 そのうわさは真実でしたが、それを広めた人たちは、うわさが持つ性質と、その反対側にいる人々に与える影響について、立ち止まって考えなかったのでしょう。

後にわたしが10代になった時、友達の一人が、教師と不適切な関係であるという事実無根のうわさが流れました。その教師は、献身的な夫であり子供にとっては良い父親でした。そのうわさは、完全に根も葉もないうわさでした。友達は、自分が不倫をしていると信じる人がいることにとても傷つきました。

このような経験から、他人のうわさ話をするのは楽しくても、自分についてうわさされるのは決して楽しいものではないということがはっきりと分かりました。

 

うわさ話は人間関係を壊す

LDS Blogsの著者、パティ・サンプソンは、「うわさ話をやめ、みんながそばにいたいと思う人になる方法(How to Stop Gossiping and Be Someone Everyone Wants to Be Around)」という題でブログを書きました(わたしは、彼女のブログに心を奪われるほど影響を受け、今この記事を書いています)。その中で彼女は、気晴らしでやっていたうわさ話をやめるために行った、個人的な探求について書いています。

「ジョディ・ムーアは『Better Than Happy』のポッドキャストで、『うわさ話をしている時に感じる喜びは一時的な偽の喜びであり、人間関係を壊す』と、とても的確に言っています。わたしには、ランチタイムに一緒にうわさ話をする職場の友人たちがいました。ダラダラと一緒に時間を過ごしては、適当に理由をつけて人をけなし、親しい関係だと思い込んでいました。

しかし正直なところ、わたしは彼女たちに自分の直面している問題について話すことはできませんでした。もし話したら、わたしのことをうわさ話として人に話されることが分かっていたからです。わたしたちは、結びつきを深めたいと思っていたにもかかわらず、実際は真の友達になる機会を壊していました。そして、そのことに気づいていませんでした。」

 

この記事を読んだ時、即座に数人のことを思い浮かべました。その人たちのことが好きですが、他人にうわさとして広められる恐れがあるため、彼女たちとは個人的な話はできないと感じていました。

わたしは、誰にも「うわさを流す恐れがある人」と思われたくありません。

では、うわさ話が楽しいと感じているときに、どうすればやめることができるのでしょうか?

 

ウークトドルフ長老に習い、やめる

ディーター・F・ウークトドルフ長老の総大会のお話をまだ聞いたことのない人のために、説明を加えます。長老はそのお話で、最も偉大で、そして最も気の利いた言葉でわたしたちに勧告しました。「やめなさい!」と。

人を裁くのをやめるよう勧める説教は、短いものです。人を憎む、うわさ話をする、無視する、あざける、恨む、傷つけたいと思う、といった感情を抱くときに、次の指示に従ってください。

「やめなさい!」

ウークトドルフ長老は、うわさ話をする習慣は、「神とその子供たちへの愛に満ちた心」に置き換えるだけでよいと言われました。

では、どのようにすれば「生まれながらの人」の傾向である、人を裁く行為を愛に満ちた心に置き換えることができるでしょうか?うわさ話をしたくないと思えるようになるには、どうすればいいのでしょうか?

以下のようなアイデアが上げられます。

 

  1. 欠点を長所に置き換える

わたしが高校生だった時、他人のうわさ話や悪口を言わないように努力したことがありました。(自慢話に聞こえるかもしれませんが、今うわさ話をしなくなったかというと、そうとは言えず、、、。しかし、今でも本当に努力をしています。)わたしの人生で最高の褒め言葉の一つは、わたしがうわさ話をしないように努めていることに気づいた親しい友人からかけてもらった言葉です。

「わたしね、あなたのことで、すごいなぁって思ってることがあるの。誰かが陰口を始めると、あなたはいつもその人の良いところを話すでしょ。そうすると、みんなはうわさ話を控えるようになって、会話が違った方向に進みだすのよね。」

これは、わたしにとって非常に大きな意味をなしました。そして、今も常にこの経験を元に努力し続けています。

例えば、こんな会話があったとします。

友人:「なおみちゃんが今日着てたレギンス見た?かなりきつそうだったよね!」

あなたの受け答え:「わたし、なおみちゃん大好き!彼女、いつもわたしに優しくしてくれるのよね。レギンスと言えば、イオンで、プリント柄のレギンスの大セールやってるの知ってる?」

上のような会話は極端で露骨すぎるかもしれませんが、今のところ、そのように話すわたしにムッとする人に出会ったことがありません。最悪の事態が起きたとしても、うわさ話をする人たちは、もうあなたの周りでうわさ話をしないでしょうし、恐らくそのほうが望ましいでしょう。このように話をそらすことで、相手がどう反応するか不安かもしれませんが、誰かを批判せず、けなさずに会話の方向を変えることは、いつも良い意図であり、うわさ話からは得られない良い気持ちをあなたに与えるでしょう。

 

  1. 情報源を確認する

うわさ話の大きな問題の一つは、わたしの学生時代の友人と教師のうわさのように、真実ではないことが多いことです。誰かのうわさ話を聞いたら、一度立ち止まってじっくり考え、聞いた内容を疑ってみてください。周囲のみんなが信じているからといって、あなたが耳にするすべてを信じるのではなく、疑うことで「ウソだ」と仮定して、ほかの人に話さないようにすることで人を傷つけることを避けてみてはどうでしょうか。「疑わしきは罰せず」であることを覚えておきましょう。

 

  1. その人の立場になって考える

立ち止まって、「もしこのうわさがわたしのことだったら、わたしはどう思うだろうか?」または「同じ状況に自分が置かれたら、わたしはどうするだろうか?」と自問してみてください。わたしの経験から言うと、相手の視点から理解しようとするときに、うわさ話をする傾向を止めることができます。そして一部が真実でなかったり、全く真実ではないうわさを広めるよりも、うわさを自分で止めることでうわさされている人を助けたいと思うようになるでしょう。

 

4. うわさ話をしたくなる動機を考察する

ヨガ・ジャーナルは、うわさ話のこの特性について、素晴らしいアドバイスをしています。

「恐らくあなたは、うわさ話をすることに少し依存していると感じているかもしれません。もしうわさ話をしてしまう習慣を変えたいなら、うわさ話から得られることは何か、欲求の裏に潜む動機は何かを考えることから始めるのが良いでしょう。うわさ話の快感は、単純に人の影に隠れて行うところにあります。ネガティブなうわさ話には、別のわながあります。間違いを犯したり、損をしたり、失敗するのは自分だけではないと知るのは、気分が安らぐ気がします。どういうわけか、ボラ(元SISTAR)が振られた話を聞くと、自分が経験した胸が痛む破局も、少しましになるような気がしてきます。

他人のうわさ話をすることによって、自分の人生で起こる困難なことや辛さから目をそらすことができます。ある女性は、家族と旅行をしている最中、義理の姉の子育てについて文句を言っている自分に気づきました。後になって彼女は、義姉の子育ての仕方を見ていて、自分のしつけに対して自信がないことや、うわさ話をすることにより、母親として追い詰められた不安定な気持ちを落ち着かせようとしていることに気づきました。

認めることは簡単ではありませんが、特に友達、親戚、同僚に関する多くのネガティブなうわさ話の裏には、何らかのねたみが存在します。」

わたしはこの落とし穴に何度もはまっていたので、この言葉は、わたしの心を刺しました。わたしたちは他人と自分を比べてしまいがちで、他人よりも劣っていると感じると、自分のレベルかそれ以下に相手を引きずり落とそうと中傷し始めます。

わたしは、うわさ話をやめたいと思っています。自分に自信を持って、他人の弱点に目を向けて自分の苦痛から一時的に逃れようとすることをやめたいです。何より、キリストがされるように人に接し、話したいです。彼らを神様の息子、娘としての無限の可能性を認めるのです。一緒に頑張りましょう!

 

この記事はもともとAmy Keimによって書かれ、thirdhour.orgに投稿されました。この記事に出てくる名前はローカライズするために変更してあります。