戒め,神殿,聖なる儀式

主に従う家族が永遠に一緒に住む事は神殿の中で神聖な約束をすることから始まります。聖約とは2方向の約束で,個人またはグループと神との間の取り決めです。その条件は神によって定められます。神殿は,文字通り主の宮居ですが,それは神聖な礼拝の場所で,イエス・キリスト教会の会員はそこで神と聖約を交わし,儀式を受けます。儀式とは神聖なもので,神権の権能のもとに行なわれる公式の活動です。この神権は神がその子供たちの救いのためになるあらゆることを行なうために人に授けた権能です。聖なる神殿で,夫と妻は結婚し,あるいは「結び固め」られますが,それはこの世と永遠にわたって効力を持ちます。その意味は,その結婚の聖約は,もし守られたならば,墓を越えて効力を持つということです。この理由で,イエス・キリスト教会の会員はすべてのことにおいて神の戒めに従い,永遠の命の祝福を得ることができるように努めます。オークス長老のこの点に関する説明は:

… 最後の裁きとは、善悪の行為ーーつまりわたしたちが何を行ったかを集計して評価するだけにとどまるのでなく、行いと思いがもたらす最終的な結果ーーつまりわたしたちがどのような人物になったかーーを確認することであると結論することができます。表面的な行動だけでは不十分です。福音の戒め、儀式、聖約は、天の口座に預金しておかなくてはならない行為のリストではないのです。イエス・キリストの福音は、天父がわたしたちに望んでおられる状態に到達する方法を示す設計図です。

この解釈を説明するために一つのたとえを紹介します。ある金持ちの父親が、自分の子どもは求められるだけの知恵がなく、才覚もないために、このままでは遺産を受け取ってもすべてを失ってしまうだろうと考えていました。そこでこの父親は子どもに言いました。

「わたしはおまえに富だけでなく、地位と名声をも譲りたいと考えている。持っτいるものをおまえに与えるのは簡単だが、わたしの今ある状態はおまえが自分で手に入れなければならないものだ。わたしが学んだように学び、わたしが生活したように生活することによって相続する資格を得るのだ。わたしが知恵と地位を手に入れた法則と原則を教えよう。わたしの模範に従って、わたしが身に付けたように身に付けるのだ。そうすればおまえはわたしのようになり、わたしのものはすべておまえのものになるだろう。」

このたとえは天の方法とよく似ています。イエス・キリストの福音は永遠の命と御父の完全という比類ない受け継ぎを約束し、それを手に入れるための律法と原則を明らかにしています。

モルモン教の会員は,自分たちが天の父のようになれ,神の所有物のすべてを受ける可能性があると信じていて,この世の生活はわたしたちが喜んで神の戒めに従い,救い主イエス・キリストにあらゆることにおいて従うかどうかを試される時です。

 

永遠の命を垣間見る

わたしたちはこの世の生活の中で,昇栄や永遠の生命について垣間見ることが許されます。わたしたちはただどこにそれを探せばいいのか知るだけで良いのです。わたしの夫はスキーが好きで,わたしたちの子供たちもそうです。今年の冬はこれまでで最高のスキー経験をしました。丘のてっぺんまで家族そろって行けたからです。今,6歳児とわたしはブラック・ダイヤモンド・ランでスキーしていません。しかし,わたしたちは家族として楽しい時間を過ごしました。わたしたちが親戚の人たちと一緒になる時、わたしの両親や兄弟や彼らの家族のことですが,わたしはまた天国を垣間見る気がします。親しい友だちといる時も永遠について感じることができます。最近わたしたちは自分の家族と,2つの親しい友だちの家族と「ステイケーション」をして,一緒の時を過ごしました。わたしたちは地元のコンドミニアムにステイ(泊まって)して春休みのバケーションを過ごしたのです。わたしたちは笑いと遊びを共にしました。しかし,3家族のすべてのメンバー(合計で19人)がそろった時だけ,食事を一緒にし,映画を見て,ひざまずいて祈ったとき,「全部がそろった、完全だ」という気持ちがしました。イエス・キリスト教会によって書かれた記事の語っているのは:

「モルモン教はこの世での経験の神聖な部分というレンズを通して昇栄について想像する傾向があります。彼らは,子供たちは生み,育てる喜びや子どもに対して感じる強い愛の中に神になることの種を見いだし,同じように,ほかの人に感じる思いやりをもって助けたいという気持ちの中にも,宇宙の美と秩序にはっとさせられる瞬間にも,神聖な誓約をし,守ることについての厳粛な気持ちの中にもそれを見いだします。教会員は昇栄を,何を得るかというより,今ある人間関係として,またそれがさらに純化され高められるものとして捉える傾向があります。聖典が教えているように,『ここでわたしたちの間にある交わりが,そこでもわたしたちの間にある。ただし,その交わりには,わたしたちが今享受していない永遠の栄光が伴う。』」

わたしたちが愛する者たちと享受する瞬間がすべて,永遠の命が何であるかを垣間見るものです。それはわたしたちが互いに愛し,仕え合う時に,またほかの人に奉仕するために力を合わせる時に,洗練され純化される関係を喜ぶことにあります。これらが永遠の命を垣間見ることです。

 

リサ・モンタギューはアイダホの山間にある小さな町に住んでいます。妻であり4人の美しい子供たちがいます。家族は一緒に冬はスキーをし、夏はキャンプ、釣り、海岸に行くなどの活動をします。彼女は生まれたときから末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、人生で救い主と福音の祝福があることに感謝しています。

編集者の一言:「なぜモルモンは神創りと呼ばれるのか?」は3回シリーズでお伝えしました。