「イマジン・ドラゴンズ」と聞いて、最初に頭に浮かぶのは何でしょうか?恐らく、窮地にある乙女や村全体を、火を吐く人食いドラゴンから守ろうとする、光り輝く鎧を身に着けた騎士の神話の物語を思うかもしれません。おとぎ話の冒険ではそうかもしれませんが、現実にはどうでしょうか?

イマジン・ドラゴンズは、今流行りのロックバンドです。時に、ネバダ州ラスベガス出身と主張する彼らの始まりは、ユタ州でした。ギターリストのウェイン・「ウィング」・サーモンはユタ州アメリカンフォークに生まれ、リードシンガーのダン・レイノルズはブリガム・ヤング大学に通っていました。二人は末日聖徒イエス・キリスト教会(メディアやその他から時に「モルモン」と呼ばれる)の会員です。その他のメンバーは、ベン・マッキー(ベース)、ダニエル・プラッツマン(ドラマー)です。

イマジン・ドラゴンズの革命的な音は、エレクトリックギター、チェロ奏者、バイオリン奏者を活用します。2012年9月10日付けのデゼレトニュースの記事によると、サーモンは「バンドは、曲が何か違ったものを求めていると感じると、自由にバイオリンやチェロ、アコースティックギターのアンサンブル、シンセサイザーでさえ引っ張り込みます」とコメントしました。

そのバンドの始まりについて、BYU製作によるドキュメンタリーで、メンバーはそれぞれの出会い、バンド名のイマジン・ドラゴンズがどのように名づけられたか、彼らの音楽パフォーマンスの目的について話しています。

成功の甘美

「シングル『It’s Time』がリリースされると、厳選した主なラジオ局で流されました。ミュージックビデオは、2012年4月17日にMTVの全支局で初公開され、バンドは今週のMTV一押しアーティストとして名前が挙げられました。」そのシングルは、2012年MTVビデオミュージックアワードで、ベストロックビデオアワードにノミネートされました。

彼らのデビュースタジオアルバムのNight Versionが2012年9月4日にリリースされると、非常に大きな認識と人気を得ました。アルバムは、ウィークリービルボード200チャートで、2位にランクしました。そのリリースの成功後、バンドはワールドツアーを開始しました。彼らは、The Tonight Show with Jay Leno、Jimmy Kimmel Live!、Late Night with Jimmy Fallon、The Late Show with David Letterman、そしてConanを含む、いくつかの深夜番組に出演しライブでパフォーマンスを披露しました。バンドは、ビルボードに「2013年ブレイクするバンド」と名前を挙げられ、ローリングストーンズは彼らのシングル「Radioactive」を「その年の最高ヒットロック」と呼びました。このシングルは、2013年MTVビデオミュージックアワードでベストロックビデオアワードにノミネートされ、2013年ティーンチョイスアワードチョイスロックソングアワードを獲得しました。

バンドのデビューアルバム、Night Visionは現在、米国、オーストリア、カナダ、ポルトガル、およびスウェーデンでプラチナに認定されており、米国だけで150万枚の売り上げを上げました。またこのアルバムは、オーストラリア、イギリス、ドイツ、ニュージーランド、フィリピン、そしてスイスといった複数の国でゴールドに認定されています。イマジン・ドラゴンズは2009年の「イマジン・ドラゴンズ」、2010年の「Hell and Silence」、2011年の「It’s Time」、そして2012年の「Continued Silence」と「Hear Me」を含む、複数のEPをリリースしました。バンドは、ライブアルバム、Live at Independent Recordsを2013年4月にリリースしました。

バンドは、2013年アメリカンミュージックアワードで、年間新人アーティスト賞、お気に入りポップ/ロックのバンド、デュオまたはグループ賞、オルタナティブロックのお気に入りアーティスト賞の3つの賞にノミネートされました。

サーモンはさらに次のようにコメントしました。

「私たちは、音が歌に調和できるように努めています。冒険をするのも好きですが、私たちの独自の音楽に忠実でいたいとも思います。バランスを取るのです。私たちは、聞く人たちが、私たちの音楽を認識できるようになって欲しいと思っています。…バンドの主な目標は、メロディー、歌詞、骨組みの中心に、美しさがある音楽を人々に提供することです。…私たちは叙情詩的なサウンドを持つ、リズムを大切にするバンドです。

私たちの場合、たくさんの小さなスタートがありました。しかし、そんなことは重要ではありません。たとえラウンジやコンサートホールで、4~5人の人たちに演奏するとしても、その人たちを元気づけてあげたいと思います。」

リードシンガーのダン・レイノルズは、「歌詞はとても個人的な場所に基づいて書きます」と述べました。彼は続けて次のように言いました。

私たちは、聞く人が、あらゆる種類の感情を体験できるような音楽を書くよう努めています。ある歌は悲しく、また別の歌は元気がでるような曲で、また他は内観的だったりします。中でも、時に人生でとてもつらいことがあったときに、立ち向かえる勇気が持てるような音楽を書くように努めています。私たちは、私たちが理解する唯一のコミュニケーション方法である、アートを通して視聴者とつながっていたいのです。

ロックミュージックの世界でモルモンであること

ロックミュージックの世界のような文化に積極的に関わることは、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として、極めて難しいことだと思われるかもしれません。しかしながら、イマジン・ドラゴンズのギターリストのウェイン・サーモンは、全く難しいことではないと話しました。実際、イエス・キリストの福音の教えによって、彼の信仰と生き方は、焦点が合い、しっかりと立てる助けとなっています。デゼレトニュースの記事で彼は次のようにコメントしました。

私たち個人は、皆それぞれ異なりますが、私たちのバンドは常に音楽でつながっています。私たち全員が、共有している一つのことは、音楽を作り、世界に前向きな力となれるよう、全力で取り組んでいることです。私たちの目標は今もこれまでも同じです。できるだけ多くの人々に伝えたいのです。ヨーロッパ、南アメリカなど、世界中に行き、できるだけ多くの人々に、私たちの音楽を聴いて欲しいです。

リードシンガーのダン・レイノルズは、次のようにコメントしました。

私たちの中心は、音楽にあります。私たちは、名声やパーティーのために、このキャリアの道を選んだわけではありません。むしろ、アーティストになりたい、そして作りたいという私たちの望みを満たしてくれる、満足できる何かを作るためです。私たちは、最も説得力があり、完全な人間ではありませんが、自分たちの最善を尽くして、社会に何かを提供し、誰かがつらい時に、少しでも一日をよりよく過ごせる助けになりたいだけなのです。

私たちはいつも、夢中になれることをして暮らしていきたいという目標がありました。それが、私たちの最初の時からの希望でもあります。

夢は続く

レイノルズはさらに、彼は音楽しか知らないし、今までにやりたかったことも音楽しかなかった、と言っています。彼は13歳のときに作曲を始め、音楽以外では決して行くことができないような場所に、音楽が自分を連れて行ってくれると、その時も今も信じています。今年バンドはNight Visions ツアーのため、ヨーロッパ、北アメリカを再訪し、米国サマーツアーを13公演追加することを発表しました。チケットは売り切れになり、北米エンピシアターツアーを発表しました。

2013年11月10日に、MTVヨーロッパミュージックアワードで演奏することになっています。2013年11月24日には、アメリカンミュージックアワードショーで演奏する予定です。音楽を演奏するに加え、イマジン・ドラゴンズのメンバーは、困っている人々を助けるため時間を割きます。例えば、彼らはタイラー・ロビンソンの家族と、癌とたたかう若い人々のためのチャリティーである、タイラー・ロビンソン基金を始めました。

タイラー・ロビンソン基金

デゼレトニュースへのEメールで、タイラー・ロビンソンの両親である、シャノンとブレント・ロビンソンは、「タイラーは、横紋筋肉腫と呼ばれる、珍しい軟部組織癌(ステージ4)と診断を受け、たぐいまれな試練を受けた普通の16歳でした」と書きました。タイラーは、この診断が彼の人生を変えることを知っていましたが、恐らく、彼のストーリーとレガシーが、こんなにも多くの人々の人生に触れるとは、思ってもみなかったことでしょう。

彼が12歳の時に、伝染性のスタッフ感染症で、ソルトレークシティのチルドレンズホスピタルに数週間入院することになりました。彼にとって幸いなことに、この若い年で、「臨死体験に対処できるような回復力」を発達し始めていました。そして四年後に、ほとんどの場合子供に見つかる珍しい種類の癌である、横紋筋肉腫と診断されました。診断された時、彼はユタ州コットンウッドハイツのブライトンハイスクールで高校二年生でした。治療として、化学療法を20回、放射線を6週間受ける必要がありました。極めて厳しい治療のため、高校二年生の時と高校三年生の一部を休まなければなりませんでした。

タイラーは、末日聖徒イエスキリスト教会(メディアやその他から時に「モルモン」教会と呼ばれる)の会員です。タイラー・ロビンソン基金のウェブサイトで、彼は手紙を書き、末日聖徒イエスキリスト教会の会員であることがいかに彼を強めてきたか、彼の気持ちを綴っています。

「とても頭にきて落ち込んで家に帰ったことを覚えています。私は母に、こんなことを1年も経験したくなかったと言いました。その晩に、ビショップが来て、祝福を授けてくれました。彼は私に、このようなつらい経験をする人は辛辣になり怒るか、またはその経験から学び強くなろうとするかのどちらかだと話しました。また彼は、私は選択しなければならないと言いました。その晩から、私はさらに大きい人になろうと思いました。この年、忍耐することを学び、どんなにつらくても、痛みをこらえました。文句を言ったり、自己憐憫しても何も役にはたたないとわかりました。何にもならないのです。常に前向きのままいて信仰をもつことです」とオンラインの手紙に書いてあります。

このような耐え難い治療にタイラーが耐えられるよう助けたものの一つに、音楽への愛情がありました。イマジン・ドラゴンズが、ユタ州プロボで人気が出始めていました。「It’s Time」という曲の歌詞の一つに、「天国までの道には、雲で覆われた地獄が何マイルも続く」とあります。この歌詞は、彼にとって特別な意味を帯びていました。彼の兄弟のコール・ロビンソンによると、この曲はタイラーにとってテーマソングとなりました。

タイラーの診断後すぐ、タイラーの兄のジェシー・ロビンソンは、ユタ州ヴェロアでのコンサートに、タイラーを連れて行くことをバンドに伝えました。バンドは、「It’s Time」をタイラーに捧げました。バンドがその曲を演奏している間、タイラーの兄ジェシーはタイラーを肩に乗せました。タイラーが熱烈に演奏に合わせて歌うので、バンドのフロントマンのダン・レイノルズは、彼に手を伸ばし、一緒に歌いながら抱きしめました。その瞬間、タイラーとバンドの間に絆が築かれました。

タイラーの兄は、その瞬間を彼の携帯に記録し、ユーチューブでビデオをシェアしました。そしてイマジン・ドラゴンズの公式ミュージックビデオ「Demons」でこの映像が取り上げられています。

コンサートの後とタイラーの治療の間中、タイラーとバンドはお互いに連絡を取り合いました。治療が終わると、彼は癌のない状態であると宣言されましたが、彼の医者が知らないうちに、癌はタイラーの脳に広がっていました。そして2013年はじめ、突然にこん睡状態に陥り、同年3月4日に亡くなりました。彼は17歳でした。タイラーの死後、バンドは家族に連絡し、後にタイラー・ロビンソン基金と呼ばれることになる、タイラーに敬意を表す基金を作りたいことを告げました。

小さなコンサートからグラミー賞でのパフォーマンスまで

2014年1月26日に、イマジン・ドラゴンズは第56回グラミー賞で、ケンドリック・ラマーとパフォームしました。E!Onlineが次のようにコメントしました。

ケンドリックの素晴らしいステージでの存在感とイマジン・ドラゴンズのエネルギーにより、この夜のショーの中で最高のステージの一つであったと言えるでしょう(もしかするとこれまでの過去の中で最高の一つかもしれません)。…ケンドリック、そしてイマジン・ドラゴンズ、ありがとう。グラミー賞とはそういうものなのです!

バンドは、「Radioactive」でベストロックパフォーマンス部門でグラミー賞を獲得し、またダフト・パンク、ロード、ブルーノ・マーズ、そしてロビン・シックとともに、年間最優秀レコード部門にノミネートされました。雑誌ローリング・ストーンズによると、賞を獲得したことは、バンドメンバーにとって多少意外なことでした。「Radioactive」は2013年に3番目に売れた曲であるにもかかわらず、バンドとにとって、どんな賞を取ることに関しても自信がありませんでした。

リードシンガーのダン・レイノルズは、「これだけは言わせてください。私たちは、グラミー賞を取ってやるという考えは、全くありません。私たちは年間最優秀レコード部門にノミネートされています。「Radioactive」はビッグな曲ですが、「Blurred Lines」はもっと成功を収めた曲です。もし私が賞の投票者であれば、私はこう言うでしょう。『ロビン・シックは、VMAで細い縦縞のシャツにスーツを着ていたし、ロードはかわいい。だが、イマジン・ドラゴンズって誰だ?やつらがどんな格好をしているかも知らないね!』そのような見解であれば、賞など獲得できるはずもないと自分でわかるものです。」と言いました。

バンドメンバーは、今日彼らがいる場所にいられるのは、助けてくれた人々がいたからであることを、いつも心に留めています。そして、Facebookのページで忠実なファン全員に敬意を表しました。バンドは、最近、CBSのビートルズ50年を賛辞するテレビ番組で演奏しました。