アメリカ1強い、そして世界でも一番強い女性たちのひとりである女性サラ・ローブルズは、「どんな背丈であろうと健康で社会で成功し、自分自身を愛することができる」ということを世界の少女たちに見せた。

モルモン教のメンバーであるサラ・ローブルズは、この16年間で初めてとなるアメリカ人重量挙げメダリストとなった。最近、LAタイムズでオリンピックメダリストであるサラ・ローブルズとミシェル・カーターは、「ふつう」の女性の体型に関する定義をしなおした。

 

サラ・ローズルズ

アメリカ最強の女性はプラスチックのフォークを額にあてた。

彼女はまゆを上げて額にシワを作り、フォークがそのシワに食い込んだ。そして彼女はフォークから手を離す。「ジャジャーン!」フォークは彼女の額に食い込んだままだ。

「わたしのおでこのしわはとても深いんです。」といってサラ・ローブルズは笑った。「本物ですよ。」

アメリカ最強の女性は自分の額が大好き。上腕二頭筋に入れた重量挙げをしている女性のタトゥーも好きだし、洒落た黒の縞模様のヘッドバンドに花柄のひざあて、それからきらきらしたイヤリングをしたままでも、大体の家電は持ち上げられるということも好きだ。

178センチで143キロの彼女は、自分自身のことを残すところなく愛している。彼女は自分の体のサイズからくる自立感も好きだし、今週初めにオリンピックの舞台で重量挙げ銅メダルに輝いたその体力から得られる強さも好きだ。彼女が獲得した銅メダルは、重量挙げでアメリカが16年ぶりに獲得したメダルだった。

「ここまで来るのに、体型や理想、外見を変える必要はありませんでした。」と彼女は言う。「自分自身でいるままで、銅メダルをとれました。わたしはこの体を受けいれ、この体に自然に合うことをして夢を叶えました。」

彼女は、すべての少女たちが聞いていてくれたらと願う。また、小さな新体操選手や筋肉質な競泳選手に憧れるオリンピックファンに見てほしいと思っている。そして、一定の体型のアスリートにのみ興味を示すスポンサーに理解してほしいと望んでいるのだ。

「『ふつう』の理想に挑戦するのは大切なことです。わたしでいるのってとても素敵なこと。わたしは大きくて強いし、それらすべての強みを良い方法で使っているのです。」と彼女は言った。

典型的なスター達が活躍ぶりを見せた最初の週を経て、この数日アメリカはオリンピックにおいて、投げ、挙げ、そして教える二人の大きな女性たちが大盛況を経て仲間入りした。

 

ミシェル・カーター

金曜日、ミシェル・カーターは女子砲丸投げでアメリカ初の金メダリストとなった。彼女はただのアスリートではない。彼女はあらゆる体型の女性の光だ。身長175センチ、体重116キロの彼女は、砲丸姫として知られるメイクアップ・アーティストであり、若い女性砲丸投げ選手の自信をつけるためのスポーツ合宿の主催者でもある。

「若い女の子たちに、わたしはありのままでいることを勧めます。」勝利後カーターはこういった。「わたしが参加する競技では、人々はわたしたちを女性として見ません。わたしたちは女性らしかったり、可愛らしくは見られないのです。でもわたしは人生でずっと女の子らしく生きてきました。スポーツと女性であることは、わたしにとっては切り離せないものです。」

 

少女たちに働きかける

日曜日、咆哮とガッツポーズとともに、ローブルズはスナッチで126キロ、クリーンとジャークで160キロを持ち上げ銅メダルを獲得した。言い換えてみれば、彼女はたたみ込み式の机と3人がけソファを持ち上げたのである。

「最高の気分です!」と、彼女は月曜日にメディアセンターの外のピクニックテーブルでのインタビューで答えた。「車でもひっくり返せそうです!家も通り抜けられるかも!」

アメリカの砲丸投げ選手であるミシェル・カーターは、金曜日の金メダル獲得のあと祝賀会を開いた。(ヨハネス・イーズル、AFP)

これら二人の素晴らしいアスリートのパフォーマンスをよりよいものにしたのは、自信だ。ESPN(娯楽スポーツテレビ放送ネットワーク)の身体問題を持ちかけたカーターは、定期的に悩める若い女性たちに筋肉の素晴らしさについて助言している。ローブルズは体型のことでいじめられている少女たちからの手紙に返事を書いている。

これらのオリンピック選手たちはステージを前向きなメッセージを伝える場所として使っているのです。」と、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の社会学の教授であり、「脂肪のなにが悪いの?」の著者であるアビゲイル・saguyは言う「彼女たちは、どんな体型でも健康でいることはできること、そしてわたしたちは一つの『良い』体型があると信じるよりむしろ様々な体型の違いがあることを受け入れなければならないという大切なメッセージを伝えています。」

28歳のローブルズは、ずっと前にした最後の喧嘩から今までこのメッセージの模範となり続けてきた。それは彼女が小学生のころ、地元デザート・ホットスプリングスでの出来事だ。ひとりの少女が彼女をでぶと呼び、ローブルズの顔を叩いたのだ。彼女はどうにか反論するべきだとわかっていた。そして最終的に、自分自身を愛し、今では英雄的存在とまでなった強さを受け入れることで反論することにしたのだ。

「わたしは子供の頃いじめられていました。わたしのモチベーションのひとつは、将来誰もわたしが自分に対して感じたように感じる必要のない社会にすることなのです。だれも自分のことを嫌うべきではありませんし、自分の脳力を疑ったり、自分自身や自分の好きなものを変えたりする必要はありません。誰かがあなたに関して言うネガティブな言葉を黙らせるもうひとつの言葉にわたしがなれるなら、素晴らしいことです。」と彼女は言う。

ローブルズの声はいつも容易に響いたわけではなかった。ロンドンオリンピックで7位に終わった一年後、ホルモン活性化剤のテストで陽性反応が出たため、彼女は二年間の出場停止を言い渡された。彼女は多嚢胞性卵巣症候群の薬を摂取していたといったが、彼女の抗議は拒否され彼女のキャリアは崩壊した。

彼女はジムから追い出され、トレーニングパートナーを失い、様々なヘルスクラブで1週間のトライアウトを受けるためにバーベルを車に乗せてフェニックスを走ることでなんとかもっていた。彼女は食料配給を受け、友人宅のソファーで寝泊まりをしながら、オリンピックの舞台を見ることはもうないだろうと思った。

「わたしは孤立していました。」と彼女は言う。「苦しい方法でそれを学びました。つらかったです。」

彼女は最終的にヒューストンに越し、全国的に有名なコーチであるティム・ソーズの家のガレージでトレーニングを積んだ。そこで彼女は強さを取り戻し、すべてのドラッグテストをパスして、現在では、過去の出場停止の経験を教訓として公に話をするほどだ。

「当時のわたしは自分の健康問題を解決することを固く決意していました。それはまっとうな理由でした。今となっては、他の方法でやればよかったと思いますが、そうしませんでした。」と彼女は言う。「それから出場停止期間を終え、汚名を返上して前に進むために必要なことは全部しました。」

日曜日に汚名返上を果たし、彼女は銅メダルをポケットに入れて月曜日のインタビューに現れた。表彰台でのセレモニーのあと、彼女はすぐにメダルをそこにしまい、試合後の記者会見でもメダルは隠していた。彼女はメダルを胸にかけることはしない。そうすることで、同じように努力してきたがメダルに届かなかった競技者たちの影を薄めるようなことをしたくないからだ。

「ばかみたいに聞こえるかもしれませんが。」とアメリカ最強の女性は語る。

しかし、サラ・ローブルズとミシェル・カーターが示した模範と言葉は力強く響いてくる。

 

 

写真はMormon Olympiansより

この記事はLA Timesに掲載された記事です。