末日聖徒イエス・キリスト教会の一会員(モルモン教徒)が、悪名高い犯罪者をふたりも追い詰めて、FBIで一番名誉あるメンバーとなった物語

悪名高いギャングスターのジョン・ディリンジャーとレスター・ギリス(いわゆる「ベイビーフェイス・ネルソン」)が末日聖徒の教会となんの関係があるのでしょうか?簡単です。彼らはモルモンの調査員によって追い詰められ、最終的には殺されたのです。この調査員の行動はヒーローとして伝えられています。

 

FBIのメンバーになる

サム・カウリーは、株式市場への大打撃で、後に大きな恐慌をもたらした「ブラック・チューズデー」を目撃するのにちょうど良いタイミングでこの仕事に着手しました。正確に言えば、裕福な新人法律家が新しい仕事を探すのには絶好のチャンスではありませんでした。

広く遠くに職探しの網を広げた結果、彼はワシントンでのちにFBIとして知られるアメリカでまだ新しかった捜査機関と契約を結ぶ事になりました。

カウリーはこの仕事を、故郷に帰るまでの一時的なものと考えていました。彼の目標は、ユタで法律事務所を開くことでした。しかし彼は捜査局から急速に促され、残る事に決めました。カウリーは穏やかな話し方をする物腰の柔らかい人物で、注目の的になることを避けるような雇用者でした。州で最も悪評高いギャングスターとの銃撃戦に参加するような人物像とはかけ離れた性格でした。しかしながら、これらの謙遜な特性は彼が捜査局に勤めているあいだ変わる事はなかったと、2009年にデゼレトニュースのリポーター、マシュー・ブラウンが記しています。

カウリー捜査官に関する説明は、彼が全く言及されないことを好むだろうという印象を与えます。ほとんどの報告でカウリーが報道陣を避け、アメリカの最初の犯罪の波を抑えるのに貢献した捜査官に値する栄誉を受けることは稀だったと説明されています。彼の背景や振る舞いは、人気になった映画で表現されるようなタフな銃を持ったGメンとは合わないものです。

サム・カウリーのような人が与えられた仕事をこなすためにデスクワークタイプから銃を持った捜査員になるまでは、何十年もかかるだろうと思う人が多いでしょう。それは違います.FBIは“間違いなく頼りがいのある”、そして“完全に信頼できる”人物としてカウリーについてのレポートを書いています。たった五年で監査役への昇進がささやかれたとき、カウリーは人生を変える電話を受けます。FBIのディレクター、J・エドガー・フーバーが彼に会いたいと言って来たのです。

 

「ジョン・ディリンジャーを探せ」

フーバーはサム・カウリーにシンプルな指令を下しました。“ジョン・ディリンジャーを探せ。手段は選ばない。必要であればどこにでも行くように。”

彼の仕事は状況を調べ、改善点とともにレポートを提出する事でした。しかし、カウリーの人物伝作家のブライアン・バロウによると、カウリーはシカゴにこだわりました。ただ観察してレポートを書く代わりに、“カウリーは主導権をにぎり、援助を把握し、情報源をあたりリードを洗練し、目的の犯罪者について学び、逮捕に導くような計画をたてました。”

カウリーの捜査は、ジョン・ディリンジャーがシカゴで1934年6月22日に上演予定だったマンハッタンメロドラマという映画に行く予定だということをつかみました。

午後八時半きっかりに、ディリンジャーとふたりの女性、ポリー・ハミルトンとアナ・セイジが誰にも知られる事なく上映会場に到着しました。

カウリーは、逃走ルートがすべて封鎖されていることを再度確認しました。そして封鎖を確認すると、彼は視覚的に勝利を思い描けるようになっていました。

ディリンジャーが会場の外で捜査官が待ち受けている事を知ると、彼は逃走を試みましたが、カウリーによって放たれた銃弾の雨の中、彼の手が武器に触れる前に命をおとしました。

 

新たな使命

ディリンジャーの犯罪が断たれたことで、フーバーはカウリーの能力に絶対の自信をよせ、ディリンジャーの熱狂的な共謀者であり、“ベイビーフェイス・ネルソン”の名で知られるレスター・ギリスを追うように命じました。ネルソンは、ディリンジャーとともに米国に対するテロリスト組織に加わり、25歳の若さでその人生の半分を犯罪に手を染めて生きてきました。バロウによると、フーバーはカウリーに無制限の力を与え、ベイビーフェイス・ネルソンとその他のFBIの敵として指定された犯罪者たちを追い詰め捕まえるために必要なことはなんでもできるようにしました。

カウリーは手の空いている捜査官をスリーステートエリアに集め、ベイビーフェイス・ネルソンを捕まえる準備をしました。

11月27日、ネルソンは14号線をイリノイ州フォックス・リバー・グローブに向けて妻のヘレン・ギリス、手下のジョン・ポール・チェイスと共に運転していました。2人の連邦捜査員が、反対側に行くネルソンとすれ違い、黒いフォードの車で気がついて、許される限りの早さでUターンをしてネルソンを負いました。ネルソンもまた、捜査員たちがUターンをして自分を追ってくる事に気がつきました。

ネルソンの銃弾で捜査官のフロントガラスは割られ、それと同時にネルソンたちは道を外れてフィールドに逃げ込みました。しかし、ネルソンが逃げるより先に捜査官がネルソンのラジエーターを打ち抜いていました。大きなフォードは、熱し過ぎてぱちぱちと音を立てながら止まり、完全に動きが封じられました。

その瞬間、カウリーともうひとりの捜査官ハーマン・E・ホリスはバーリントンに向けて車を走らせているところでした。連続する炎の中で、カウリーは同僚の銃弾を受けた車と、ネルソンのフォード、ナンバープレート639-578を発見しました。カウリーはすぐに車をとめ、ホリスは車を飛び出して車のすぐ後ろに待機しました。ホリスはショットガンを持っていて、カウリーはサブマシンガンを持っていました。

壮大な銃撃戦が始まりました。

ある瞬間、ネルソンのライフルが詰まり、かろうじてトンプソンマシンガンを手にとったネルソンはホリスとカウリーに向かって攻撃を再開しました。ホリスとカウリー両方から何度も銃弾を受けていたにも関わらず、ネルソンは最後のあがきとして道を渡りふたりの捜査官を撃とうとしました。ホリスは、おでこに受けた銃弾によって死に至るまで10回砲弾し、カウリーは負傷し、腹部に2発の銃弾を受けて動けなくなるまで50発以上もの銃弾をネルソンに浴びせました。

近くにいた証人は、ネルソンがカウリーの車に逃げ込むやいなやカウリーのそばに寄りました。カウリーは証人に自分が連邦捜査官であること、そして助けを必要としていることを伝えました。そして彼のパートナーの手当をしてくれるように頼みました。

カウリーは急いで地域の病院に行きましたが、ディリンジャーの件からパートナーだったメルヴィン・ホレイス・パーヴィス・ジュニアと話をし、自分を負傷させ、ホリスを殺したベイビーフェイス・ネルソンを確認できるまで手術を拒否し続けました。カウリーは、死ぬ前にパーヴィスと話がしたいとまで医師に告げました。

翌日の朝早く、彼はパーヴィスと数名の上司と話をすることができました。彼は確実にベイビーフェイス・ネルソンとジョン・ポールを確認しましたが、車に乗っていた女性については誰なのかわからないと言いました。大切な仕事が終わり、サミュエル・P・カウリーは亡くなりました。彼は35歳で、FBIには5年しかいませんでした。

同じ日、連邦捜査員はソコキーの墓地の前にある溝でベイビーフェイス・ネルソンの遺体を見つけました。ネルソンの体からはカウリーの銃から放たれた17弾の銃弾が見つかりました。二日後、捜査官たちはヘレン・ギリスを逮捕し、身柄を拘束しました。1ヶ月後、ジョン・ポール・チェイスも同様に逮捕されました。

サミュエル・P・カウリーの遺体は彼の故郷ユタ州へ輸送され、葬儀が行われました。そこには、ユタ州の連邦議会場の後ろよりに残っていたかった男が、儀じょう兵たちに囲まれていました。何千もの人が尊敬の意を表すために墓に列を成しました。その中には、ジョージ・アルバート・スミス大管長や十二使徒定員会のメンバー全員も含まれていました。彼の葬儀は、テンプル・スクエアのアセンブリーホールで行われ、スミス大管長、ジョン・A・ウィッドソー長老、米国上院議員のエルバート・トーマス、そしてユタ州議員のヘンリー・H・ブラッドが追悼し、教会員、市政局員、そして政治的指導者たちの群衆が経緯を表するために集まりました。

常に前線を避けて来た男は、州のすべての新聞でヒーローとして一面に取り上げられました。その名声は国内中に広がり、ユナイテッドプレス、アソシエイテッドプレス、そしてニューヨークタイムズも彼の犯罪者への容赦ない追求に焦点を当てました。彼の影響がすぐに忘れられることはありませんでした。FBIのアシスタントディレクターであるハロルド・ネイサンはこう言ってカウリーに賛辞を呈しました。「わたしたちの職務の何世代もの新しい捜査官たちが入ってくる中で、彼らはサム・カウリーの人生と死について教わるだろう。彼は伝統になる。彼は地上において不滅となった。」ディレクターのフーバー自身もヒーローとしてのカウリーを讃えました。

カウリーはソルトレイク市にあるワサッチ・ローン・メモリアルパークに埋葬されました。