第二次世界大戦中のドイツで、ナチス政権に抵抗した16歳の少年がいました。彼の名前は、ヘルムス・ヒューベナー。禁止されていたラジオ放送を聞き、ナチス政権の発表に疑問を投げかけるビラを作って配布した末、逮捕され、死刑を宣告されました。

世界14か国以上で上映された映画『真実と反逆』(原題:Truth & Treason)は、ヘルムス・ヒューベナーと仲間たちの実話をもとにした歴史ドラマです。日本では2026年10月16日(金)から、全国で順次公開です。

この映画を監督したマット・ウィテカーは、ヘルムスの物語を映画にするまでに20年以上を費やしました。実際に抵抗運動に参加した人物の証言から始まったこの作品は、どのようにして完成したのでしょうか。

ナチスのポスターの前に立つヒューベナー 映画「真実と反逆」より

ヘルムス・ヒューベナーとはどんな人物?

ヘルムス・ギュンター・ヒューベナーは、1925年にドイツのハンブルクで生まれました。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、ナチス政権下で反ナチスの抵抗活動を行った人物です。

当初、ヘルムスはナチスが組織した青少年団体に参加していました。しかし、次第にナチスの思想を拒否するようになります。

1941年の春、ヘルムスは兄のゲルハルドが持っていた短波ラジオを見つけ、英国放送協会(BBC)のニュース放送を聞くようになりました。当時、外国のラジオ放送を聞くことはナチスの法律で禁じられていました。

ヘルムスは放送から得た情報をもとに、自分の意見を加えた反ナチスのビラを作り始めます。教会の友人であるカール・ハインツ・シュニブとルドルフ・ウォーブの協力を得て、ビラを掲示板に貼ったり、通りにまいたり、郵便受けに入れたりしました。

彼らの活動は、ナチス政権が発表する情報をそのまま信じるのではなく、別の情報を人々に伝えようとするものでした。

1942年2月、ヘルムスたちはゲシュタポに逮捕されました。同年8月の裁判で、ヘルムスは死刑を宣告されます。そして1942年10月27日、17歳で処刑されました。仲間のシュニブとウォーブらには、強制労働の判決が下されました。

ヘルムスの生涯は、ナチス政権への抵抗を続けた若者の歴史として、現在も記憶されています。

映画「真実と反逆」では、ヘルムスが何を信じ、どのような選択をしたのかを描いています。

なお、映画の描写と史実の細部は必ずしも同じとは限りません。ヘルムスの実際の経歴については、教会の公式歴史資料も併せて読むことができます。

Rotten Tomatoes「Truth & Treason」

末日聖徒イエス・キリスト教会「ヘルムス・ヒューベナー」

映画「真実と反逆」の撮影に挑むウィテカー監督とスタッフ

20年以上をかけて完成した映画

この映画の制作には、長い年月がかかりました。

ウィテカー監督は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。彼がヘルムスの物語を知ったのは、2001年のことです。

当時、彼は第二次世界大戦に関するドキュメンタリーを制作していました。そのスタッフの一人から、ヘルムス・ヒューベナーという少年と、彼の抵抗グループについて聞きました。

そして、ヘルムスとともに抵抗活動を行った最後の生存者、カール・ハインツ・シュニブがまだ生きており、ソルトレイク周辺に住んでいることを知ります。

ウィテカーはシュニブに連絡を取り、直接話を聞きに行きました。シュニブが語った、親友ヘルムスとの活動やゲシュタポに逮捕された経験に強く心を動かされた監督は、この物語を映像作品にしたいと考えました。

その後、シュニブへのインタビューを撮影し、2002年にはドキュメンタリー『Truth and Conviction』の制作につながりました。同時に、劇映画の脚本にも取り組み始めました。

しかし、映画の完成までには多くの困難がありました。

2007年には、俳優ハーレイ・ジョエル・オスメントの出演が決まり、コンセプト映像も撮影されました。しかし、住宅市場の崩壊によって投資家が撤退し、企画は前に進まなくなります。

その後、俳優フレディ・ハイモアの出演も予定されましたが、新型コロナウイルスの流行によって再び計画が頓挫しました。

それでも、ウィテカーは制作を諦めませんでした。インタビューでは、妻が「続けよう」と励まし続けてくれたことにも触れています。

最終的に、2023年に資金調達がまとまり、2024年に撮影が始まりました。

2001年に実際の体験者から話を聞いて始まったプロジェクトが、劇場映画として完成するまでに20年以上かかったのです。

Association for Mormon Letters

映画「真実と反逆」の撮影場所であるリトアニアの街並み
撮影はリトアニアで行われた

1940年代のドイツを再現するために

映画の撮影地として選ばれたのは、リトアニアでした。

ウィテカー監督によると、東ヨーロッパには古い街並みが比較的よく残っており、1940年代のドイツを再現するのに適していました。また、ハンブルクは1943年の爆撃で大きな被害を受け、その後再建されていたため、当時の街並みを撮影することは難しかったといいます。

撮影は、リトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街などで行われました。さらに、ナチスやゲシュタポが実際に使用したトンネルや独房など、歴史的な場所も撮影に使われました。

囚人が壁に名前や日付を刻んだ跡が残る場所もあり、そうした環境は俳優たちの演技や撮影にも影響を与えたとされています。

映像表現にも工夫がありました。

監督と撮影監督は、1930年代の映画や当時の白黒写真を研究しました。映画自体を白黒にするのではなく、光と影の対比を使い、暗闇の中に差し込む光がより強く感じられるようにしたのです。

音響にも細かな仕掛けがあります。モールス信号で「V(Victory)」を表す「・・・ー」のリズムが、タイプライターの音などに取り入れられました。ヘルムスがタイプライターでビラを作る場面では、キーを打つ音に銃声を思わせる音も組み合わされています。

言葉によって抵抗した少年の行動を、映像と音の両面から表現しようとした工夫でした。

Behind the Lens Online

映画の撮影で俳優に指導するウィテカー監督

複雑な人間と選択を描く

ウィテカー監督はインタビューで、この物語に関心を持った理由の一つとして、抵抗する人々とナチスのような加害者との間にある、複雑な人間関係を挙げています。

後世から振り返ると、ナチスに抵抗した人々と、政権を支えた人々を単純に分けて考えがちです。しかし、当時の多くの人々は、その間にある複雑な状況の中で選択を迫られていました。

監督は、ヘルムスが勇敢な行動を取る一方で、その行動によって家族や友人、教会の人々まで危険にさらす可能性があったことにも注目しています。

また、映画に登場する教会指導者アーサー・ザンダーについても、実際に教会の支部会長でありながら、ナチス党を支持していた人物だったことを説明しています。

ウィテカーは、この映画を単に特定のメッセージを伝えるための作品にしたかったわけではなく、複雑な登場人物と物語を描きたかったと語っています。

そのため、この作品はヘルムスの勇気だけでなく、当時の社会の中で人々がどのような判断をしたのかという問題にも目を向けています。

Association for Mormon Letters

歴史を知り、映画を見る

ヘルムス・ヒューベナーは、17歳という若さで命を奪われました。しかし、彼が作ったビラや、友人たちとともに行った抵抗活動は、ナチス政権下のドイツで実際に起きた歴史の一部です。

映画『真実と反逆』は、実際にこの活動を経験したカール・ハインツ・シュニブの証言をきっかけに生まれ、監督が20年以上にわたって取り組んだ作品です。

教会の公式歴史資料を通してヘルムスの生涯をさらに知ることもできます。映画で描かれた物語と史実の両方に触れることで、当時の人々が直面した状況や、ヘルムスたちの行動について、より深く知る機会となるでしょう。

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