告白:実を言うと、信仰をなくさなかったわけではありません。でも取り戻したのです。

 

職を失った人の思想

仕事をなくしたときにまずすることといえば、悲しみのステップと似た感情を経験することです。そのステップとは、否定、怒り、不満、そして最後に受容です。その中のどこかに、自己憐憫、落胆、責任転嫁、そして信仰の喪失も当てはまります。これは険しい道で、大学を卒業するために払った多くの犠牲、出世のための残業や夜更かし、さらにはなんでもできると信じた信仰を経験したあとではなおのことつらいものです。

その次にすることは、周りで働いている人たちをみて自分自身にこう言うことです。「あれならできそうだ。トラックの運転手でもできるし、銀行の窓口とか、学校の先生とか、レジ打ちとか…」これが広く網を打つという原始的なサバイバルの手法に違いありません。

そうしてパニックがおさまったら、やっと現実的な道がみえてきます。わたしのアドバイスは、(1)あなたが情熱を持てることを見つけること、(2)あなたのスキルを見つけること、(3)機会を見つけることです。この領域から出てしまうと、いらいらしてきてしまうことがわかりました。焦点をしぼることで、自信がつきましたが、決して簡単なことではありませんでした。

 

経験から学んだこと

わたしは、自分自身を信じることを学ぶ必要がありました。自分の経験、スキル、教育、そして特に適応力などです。要は、自分自身、そして神がわたしたちになってほしいと思っている人物像に霊的な自信をもつということです。神に、わたしたちがするべきことを尋ねること、それこそが信仰の最後の側面です。一度そこまで謙遜になることができれば、その後の仕事探しなど実際に必要な行動はうまくいきはじめます。期待していなかった扉が開き、人々から電話がかかってきたりします。

わたしは、事業を成功させるためにがむしゃらに働きました。家や車の修理をすべて後回しにして、家のローンを払うためにコンサルタント業をしていました。それがすべて無駄になってしまったのです。家では更に多くのものが壊れ、事業の成功の兆しはありませんでした。そのときになって初めて、わたしはこう自問しました。「わたしがするべきことはなんだろう?」こう尋ねるには謙遜になる必要があります。それはわたしにとって簡単なことではありません。しかし、そのときから変化が起こり始めました。少しですが仕事が入ってきました。長期の仕事はひとつもありませんでしたが、それでもちらほらと収入が入り始め、なんとかやっていくことができました。わたしは仕事を楽しんでいました。わたしはただより多くの仕事を必要としていました。

わたしたちは貯金を使い果たしました。いらないものはすべて売りました。予算のすべてを切り詰めました。わたしは今までの半分のお金を得るために2倍働きました。しかし、自分の功績に加わるどんな小さな仕事でさえ、わたしの信仰を育てました。わたしはより多くの仕事を得るために祈りました。

 

祈りの答え

入ってきたのは、都心の学校で三年生に読み書きを教えるボランティアをしてほしいというリクエストでした。それはわたしが待ち望んでいた答えそのものではありませんでしたが、わたしはそのリクエストを受けました。神から来たかもしれないものに答えないことが恐ろしかったのです。仕方なく、仕事探しにあてられるはずの貴重な時間を、週一時間子どもたちの読解と言語理解を助けることにあてました。しかしおもしろいことに、その時間はわたしにより多くのエネルギーを与えてくれました。子どもたちがどんどんわかるようになるのを見ていると、彼らを信じてくれる人、そして愛してくれる人がその進歩にとても大切なことがわかりました。

そしてある日、この考えが頭に浮かんだのです。わたし自身、出来る限りの力をもってこの世界で学ぼうとしている子供にすぎない、そして神がわたしの師である、と。わたしのものの見方は、恨みから感謝に変わりました。それはまるで、わたしがこどもたちに言う「がんばれ、よくできてるよ!」という励ましの言葉をそのまま神がわたしにくれているかのようでした。

小さな奇跡が起こり始めました。長期の仕事がなくても、家のローンは減っていきました。多大な努力と信仰が必要でしたが、それでも少しずつ、物事がうまく行き始めていました。レベルが一つずつあがっていくようでした。より多くの仕事が入り始め、実績は増えていきました。わたしが教えていたこどもたちもどんどん進歩しましたし、わたし自身もそうでした。わたしの祈りは、「わたしを祝福してください」から「この子どもたちを祝福してください」に変わりました。

単純に聞こえますが、わたしは、自分の人生の一部を完全にだれかの成功に集中して過ごすことで、自分の成功も見つけることができると信じています。わたしがようやく定期的な仕事、しかも福祉手当と安定を手に入れたとき、わたしはひとつ決まりをつくりました。「水曜の午後は交渉不可。」この時間は信仰を育むこと、そして他人を助けることで予約済みだというものです。

 

この記事はスティーブ・ワンダーリによって書かれ、faithcounts.comに投稿されたものです。翻訳者はキャンベル愛美です。