あなたは困っている時に、他人から助けてもらった経験はありますか?新約聖書でイエス・キリストが福音を教える時に使った、さまざまなたとえ話の一つに「善きサマリア人」があります。

もしあなたが知らない人に助けてもらったことがあるなら、その人は良いサマリア人なのかもしれません。そんな人が増えたら、きっと社会はもっと安全で安心できる場所になるでしょう。

詳しくお話しましょう。

「良いサマリア人」の話とは

瀕死のユダヤ人を助けるサマリア人

ルカによる福音書10章30-35節より

エリコという場所へ行く途中に、1人のユダヤ人が強盗に遭い、身ぐるみを剥がされて半殺しにされてしまいました。

そこへ同じユダヤ人の祭司(ユダヤ教の指導者)がやってきましたが、道の反対側に周って行ってしまいました。

その後、レビ人(神殿で祭司に仕えて特別な役割があった)がやってきましたが、さっさと通り過ぎて行ってしまいました。

最後にサマリア人がやってきました。サマリア人はユダヤ人と信仰が違っていたり、他民族の血が混ざっていたので蔑まされていました。

そのサマリア人は倒れていたユダヤ人の傷の手当をし、宿屋へ連れて行って看病しました。また、そのユダヤ人のために宿代を払って、足りなかったら用事の帰りに払いに来る、と言いました。

これが良いサマリア人の例え話です。

キリストが伝えたかったこと

キリストはこの話を使って、隣人を愛するように伝えたかったのです。 マタイによる福音書22章37-39節

わたしたちは、性別・年齢・宗教・人種・立場関係なく、同じ神様の子ども、そして同じ兄弟姉妹としてお互いを愛するように言われています

イエス・キリストは、人々の奥深くを御覧になっています。一人一人を見ておられるイエスは、その必要、また将来なり得る姿を目にしておられます。ほかの人々が、漁師や罪人、取税人と見なした人々を、イエスは弟子として御覧になりました。人々が悪魔に取りつかれていると見なした人々についても、イエスは表面的な苦痛に目を向けることなく、その人自身を認め、癒されたのです。

慌ただしい生活にあっても、わたしたちはイエスの模範に倣い、一人一人を見ることができます。人々の必要や信仰、困難、また将来なり得る姿を目にすることができるのです。 

ミッシェル・D・クレーグ「見る目」『リアホナ』2020年11月

キリストのこの教えをたくさんの人が実践できたら、家族や友人関係、そして社会はもっと良くなると思いませんか?

また神様は私たち一人ひとりに幸せになって欲しいと願っていて、祝福を用意しています。そして、神様は人を祝福するために、他の誰かを使うことがあります。

主は、自ら進んでほかの人の人生において天使となってくれる人を常に探しておられるのです。…主はだれが天使の助けを必要としているか御存じであり、彼らをわたしたちの行く手に置いてくださいます。 

カルロス・A ・ゴドイ「天使を信じる」『リアホナ』2020年11月

サマリア人の模範の結果

実際に、良いサマリア人のような人に出会って人生観が変わった人の話を紹介しましょう。

この人は、もともと自分の損得を考えて人を助けていたそうです。しかし、ある時、1人の人に助けてもらうことがありました。自分を助けてもその人は何も得しないのに、見返りを求めずに助けてくれたことにとてもびっくりしたそうです。

びっくりしながらも心に何か感じたようで、この経験以降その人は見返りも損得も考えずに人に手を差し伸べるようになりました。

誰かがキリストの教えに従った模範が、ほかの人も正しい行いができるようになる、というとってもステキな連鎖だと思いませんか?

自分のちょっとしたいい変化や勇気が、世の中を変えることも可能かもしれないですね。

私の周りの良いサマリア人

私が良いサマリア人の話について考える時に、いつも思い浮かべる人達がいます。

それは、大学の友達、近所に住む友人、そして私の母です。

この3人について考える時、良いサマリア人のような行動の共通点を見つけました。

彼らの共通点は次の通りです。

  • いつも笑顔
  • 友達や知人が多い
  • 知らない人でも困っていそうだったらとりあえず話しかける
  • 自分にできなさそうだったら誰か他の人(知らない人も含む)に手伝いを求める

そんな3人でも、困っている人を助けようとして声を掛けたり手を差し伸べても、拒絶されたり失敗した経験があるそうです。

それでも自分を通して誰かが助かるなら、幸せになるなら、少しでも気持ちが楽になるなら、と困っている人を放っておけないと、3人とも言います。

わたしが出会った良いサマリア人について紹介します。

その人は全然知らない中年の女性でした。小さい子供を連れて電車に乗ったら、その女性は大きな荷物を持って席に座っていました。

わたしたちに気付いたその女性は、何のためらいもなく、席を譲ってくれました。大きな荷物を持っていたので、最初はその好意に遠慮してしまったのですが、「わたしもいつも誰かに助けられて子育てをしてきたから」と言ってくれました。

以前にお世話になった人からこう言われたことがあります。

「人の好意を有難く受けなさい。遠慮するのも申し訳なく感じるのも違う。その代わりいつか自分ができるようになったら、誰かに同じようにしなさい。」

わたしはこう思います。1人1人が誰かから受けた親切や優しさを、ほかの誰かに示すことが当たり前になれば、良いサマリア人の連鎖が日本に起きるのではないでしょうか。

良いサマリア人になれる

知っていましたか?世界人助け指数というランキングで、日本はワースト2位なんです。

日本で良いサマリア人のように誰かを助けることは特別なことなのでしょうか?

ちなみにその指数は、知らない人を助けた経験、お金の寄付、ボランティア団体などでの奉仕の時間で測られているそうです。

どれも多くの日本人は体験をしたことがないからのワースト2位なのかもしれませんが、日本でも他人を助ける人はたくさんいます。

普段の生活の中であなたが誰かを助けるためには、小さな決意と行動が必要です。最初は思うような結果にならないかもしれません。でも続けることで他人を助けることがだんだん当たり前になっていくでしょう。

【良いサマリア人になる「神への信仰」おススメの方法】

良いサマリア人になるために
  • 近所の人と仲良くなる
  • ボランティア活動に参加する
  • お店などのドアを他のお客さんのために開ける
  • お年寄りや体の不自由な人、妊婦、小さな子供や子連れの親子を優先する
  • 災害支援や慈善事業団体に寄付する
  • 人助けの恥ずかしさや恐れを捨てる決意をする
  • 正しい生活をする

わたしたちが義にかなった忠実な生活をしていれば、天の御父は、わたしたちの生活に祝福をもたらしてくれる人を、(逆に、わたしたちが祝福できる人を)見つけることができるように助けてくださいます。これは霊的な事柄と物質的な事柄に当てはまります。

教会HP主はわたしたちを助ける人や,わたしたちが助ける人を,わたしたちの生活に導かれます。
  • 祈る

御父が喜んで与えたいと望んでおられるあらゆる賜物と同じように、奥深くを見るには、主に尋ねること、それから行動することが求められています。主が御覧になるように、すなわち神のようになる無限の可能性を秘めた、主の真の息子および娘として人々を見ることができるように願い求めるのです。

それから、促されるままに行動することです。人々を愛し、仕え、その価値と可能性を認めてください。これを生活のパターンとするなら、自分が「イエス・キリストに真に従う者」となっていることに気がつくでしょう。人々は自分の心を預け、わたしたちの心を信頼することができるでしょう。また、この生活パターンを通して、わたしたちは自分自身の真の姿と使命をも見いだすことができるでしょう。

ミッシェル・D・クレーグ「見る目」『リアホナ』2020年11月

人を助けるように促しを受けたら、その心に感じた気持ちに従って思い切って行動してみましょう。この思い切りが良いサマリア人になれるかどうかの鍵となるでしょう。

できる限りのことをしてみてください。神様があなたの行いを祝福してくれます。そして、自分ができる限りのことをしたら、あとのことも神様が祝福してくれます。たとえ相手に取って不十分だったとしても、それが自分の精一杯だったなら、神様が足りないところを補ってくれるんです。

人は自らの内に力がありそれによって自ら選択し行動する者だからである。そして、人は善を行うならば、決してその報いを失うことはない。 

教義と聖約58章28節

人を愛すること、そして助けることは、キリストが定めた戒めです。しかしそれを実行したとき、あなたは確かに祝福されます。

心に良い気持ちを感じ、平安があるでしょう。新しい出会いや自分の成長も得られるでしょう。神様はあらゆる方法であなたを祝福してくれますよ。

まとめ

これまで他人を助けることを考えたことがなかったら、今すぐ行動するのは難しいかもしれません。しかし、キリストの教えを実践したい、人助けをする人の模範に従いたいと望んでいたら、そのチャンスはやってきます。神様があなたを通して誰かを助けるためです。どうかそのチャンスを逃がさないように祈っています。