記事にうまくまとまらないけれど、他にも考えるべき点:
- アダムとイブにも似たようなことが起こりました。善悪を知る木の実を食べないようにという戒めを与えられたアダムとイブには、同じく産めよ増えよ、地に満ちよという戒めも与えられました。彼らにとって実を食べるという決断をするのがどれほどつらいことであったかこちらにも伝わってきそうです。彼らは従順でいることを望みました。実を食べるという決断は、彼らが考えに考えを重ねた結果でした。それは過ちではありませんでした。彼らはひどい苦痛に見舞われると知っていながらも、ひとつの戒めを守るために、もうひとつの戒めを破りました。彼らは、わたしたちが皆地上に来られるようにその戒めを破ったのです。それはアダムとイブによる犠牲でした。そして彼らは後に『逃れる道』を与えられました。その逃れる道とは救い主がこの世に来て、堕落の結果を帳消しにできることだと考えられます。
- キリストは自分の命における権力をお持ちだったため、天使の軍団を呼び出して御自身を救うことができたでしょうが、彼は御父からの例外の戒めである、彼の命を捧げるという戒めを守るために、一般の戒めを超越したという理解をすることもできます。自分の命を犠牲にすることは律法に反することでしたが、御父が罪のない御子の命を捧げることを要求されたため、それは罪ではなくなりました。彼の『解放』もしくは『逃れる道』は、三日目に墓から復活したときに起こりました。
- 新約聖書のマタイのはじめの何章かに記録されている延々と続く系図をつまらないものだと思っていました。しかしある日誰かが、キリストの系図を見ると、彼は『ダビデの家』から来られたことがわかるということを指摘しました。『ダビデの家』は歴史上最大の一夫多妻家族のひとつだったということをご存知でしたか?キリストが一夫多妻の一族から産まれてくるとは興味深いことです。
- ジョセフ・スミスの動機が何であったか、わたしは知りません。誰が知ることができるでしょうか?わたしが言いたいのは、ジョセフ・スミスがとがめられている行いは、聖書の時代の預言者たちのしていたことと同じ行いだということです。大昔の預言者の動機を知ることのできる人はいませんが、昔の文化だから、ということでよく考えないことが多いと思います。文化や時代に関係ない、誤りは誤りで、義は義なのです。
- 聖書を信じている人は、イザヤのした末日に関する預言を例外とすることはできません。「その日、七人の女がひとりの男にすがって、「わたしたちは自分のパンをたべ、自分の着物を着ます。ただ、あなたの名によって呼ばれることを許して、わたしたちの恥を取り除いてください」と言う。」(イザヤ4:1)この聖句はキリスト教徒にとってどんな意味があるでしょう?
- ジョセフ・スミスは次のように言いました。「わたしは常に、主にそれ以外のことを命じられないない限り、夫は一度にひとりの妻を持つべきだ、と言ってきた。』そしてブルース・R・マッコンキーはこう言いました。「主の結婚の律法によると、主が新しく永遠の聖約によって複数の妻を持つように命じない限り、一夫一婦の関係が律法によるものだ。」これらの言葉は、一夫多妻婚は神様のもとに子孫を増やすという地上での特別な目的を果たす、この世だけの『例外の戒め』であるという考えを強調しています。次の世では、時間に限りがないので急いで「子孫を増やす」必要はないでしょう。
- 天のお父様が天に複数の妻を持つことの証明はありません。
- 一夫多妻は奇妙だと思うなら、アダムとイブの時代に起きていたであろう近親相姦について考えてみてください。聖書を信じるなら、それが実際に起こったことだと信じるはずですよ。
- ジェームズ・E・タルメージは教会の最も優れた神学者のひとりです。彼は『「モルモン教」における物語と哲学』(88ページ)にこう記しています。「末日聖徒たちは長い間一夫多妻の人として知られてきました。その一夫多妻というのは全体の限られた割合の教会員の間で、教会の儀式の認可のもと行われてきて、その制度が紹介されて以来、否認されたことはありません。しかし一夫多妻が教会のきわめて重要な教義であるというのは真実ではありません。末日聖徒が日の栄えの結婚と呼ぶのは教会の特徴であり、大変一般的な行いです。しかし日の栄えの結婚において、多妻婚はかつてあった出来事であり、必須事項では一切ありません。それなのに人の頭の中でこの二つはしばしば混乱されてしまいます。」
一夫多妻は難しいテーマです。本当に理解しようと探求する全ての人にとって難しいものです。わたしたちは一生このテーマについて完全に理解することはできないかもしれませんが、この記事に書かれていることによってこのテーマに違った方向から目を向けることができるように願っています。
この記事はもともとGreg Trimbleによって書かれ、ldsliving.comに”What Every Mormon Really Needs To Know About Polygamy” の題名で投稿されました。
稼げる妻も、生活力のない夫を多数養う事も将来的に有り得ますか?
菅野姉妹、良い質問をありがとうございます。聖典や教義で女性が多数の男性を夫とする一妻多夫のような制度は一度も歴史上神様は命じられていません。ここの記事にも一夫多妻の行われた理由の一つとして「義にかなう子孫を増やす」というものがありました。生物学的にも男性は何人も同時に子孫を増やすことができますが、女性は一度身籠もると出産するまで次の子孫には恵まれません。その1つの理由から考えても、将来的にも一妻多夫になることはないというのがわたしの意見です。
私は十代で示現を受けたものです。一夫多妻が隠されている教義なのは霊性が低いと全く理解できないからです。一夫多妻はすばらしい神の愛です。この記事も間違っています。
この教義を理解するうえで現世の様々な欲が概念をまげてしまいます。悪魔の作った概念にまどわされないでください。
関姉妹、コメントありがとうございます。「一夫多妻は素晴らしい神の愛」とおっしゃる姉妹の信仰に感動します。この記事は著者も言っているように、間違っているかもしれないとあります。ただ、わたしも著者同様、この記事を読んで一夫多妻の教義で苦しんでいる人々に新しい見方を与えるものとなればと思っています。人によって霊性のレベルが違うことも含め、それぞれが個人的に祈り、主の教義に平安を得られるように祈っています。