善悪の戦いは映画の格好の話になります。J・R・R・トールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」や「ホビットの冒険」のシリーズの映画では,叙事詩的な探求と大いなる戦いとともに,この善悪の戦いの構想がよく使われます。しかし,時々最も優れた映画の戦いは,登場人物が誰を信じるべきかという内面の格闘です。自分の前の野獣かそれとも自分が別れてしまった同僚かを選ぶことです。その人物にとってどちらが真実を語っているのか,そして誰が自分を破滅させようとしているのかを判断するのは至難の業です。それは自分がどの方向に行ったらよいのかを判断するのと同じくらい「油断のならない」選択です。しかし,善悪の戦いは映画や本の中だけにあるのではありません。それはわたしたちが生きている世界における,根本的なテストです。モルモン教のL・トム・ペリー長老は,十二使徒定員会の一員で,次のように語っています:

「今日,わたしたちは戦争の中にいます。これは武器の戦争ではありません。思想,言論,そして行為についての戦争です。それは罪を伴う戦争で,わたしたちはこれまで以上に神の戒めに心を留める必要があります。世俗的な考えが世の中の標準になり,それらの人たちの信条や実践は主ご自身がその子供たちのために定められたものとは真っ向から衝突します。」 [1]

イエス・キリストの使徒であるウィンティン・L・クック長老が語っているのは:

「今日道徳の衰退は加速しています。1人の著名な作家が最近こう語りました。『誰もが文化は有毒で,誰もそれが変わるとは期待していない。』暴力や不道徳が音楽,娯楽,芸術,そしてそのほかのメディアを通し,わたしたちの日々の文化の中で絶えず描かれているのは前例のないことです。このことは非常に尊敬されているバプテストの神学者によって劇的に描写されています。『一つの文明全体の霊的な免疫システムが傷ついてしまった。』」[2]このような霊的な衰退の風土の中で,どこに戦線があリ,どちらの側が正しいのかをどうやって知ることができるのでしょうか。イエス・キリストの福音は安全な場所です。主の律法と教えと聖典だけが安全な道を提供します。

ジェフリー・R・ホランド長老も,イエス・キリストの使徒で,この点について語っています。:

「もちろん励みになるのは,天の父はこれらの末日の危険についてすべてご存知で,心や魂の悩みについてもご存知で,それに対する勧告や保護を与えてこられたのです・・・。愛、癒し、助け、希望。キリストの力はあらゆる時代の,あらゆる問題に対抗します。それには時の終わりに関することも含みます。」[3]

魂に対する安全な港はモルモン教の中に見いだせます。それは「唯一まことの生ける教会」であると教義と聖約には述べられています。この聖典は現代の神の預言者たちに与えられた啓示を集めた物です。(教義と聖約1:30参照)イエス・キリスト教会は,普遍の,妥協することのない救い主の教えの真理を所有しています。それはこの世の気まぐれや風潮によって曲げられることがありません。

モルモンの集会場

著者のリサ・モンタギューはアイダホの山間にある小さな町に住んでいます。妻であり4人の美しい子供たちがいます。家族は一緒に冬はスキーをし、夏はキャンプ、釣り、海岸に行くなどの活動をします。彼女は生まれたときから末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、人生で救い主と福音の祝福があることに感謝しています。

 

編集者の一言:「モルモン教は安全な場所」はシリーズでお届けします。次回はアメリカでの宗教の価値観の変化、そして誤った理由での宗教がどのように危険かを紹介します。